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アイドルは「操り人形」か

 自分たちの抱える葛藤をはっきりと表明するBTSのこうした姿勢は、「アイドル」らしからぬものに見えるかもしれない。なぜなら、一般的に「アイドル」はネガティブに捉えられる表明をしない存在と認識されているからだ。つまり、アイドルはファンには明るい側面だけを見せ、プロダクションが創るフォーマットのうえでパフォーマンスする「操り人形」――いまもそうした認識は根強い。

笑顔でBTSと写真撮影をする文在寅大統領 ©時事通信社

 「アイドル」をどう定義するかにもよるが、現在一般的に認知されているグループアイドルは、アメリカ・モータウンレコードによるジャクソン5やシュープリームスを参考にしつつも、日本で大きく花開いた文化だ。とくに男性グループでその中心にあるのはいまもむかしもジャニーズであり、K-POPも当初はこの日本のアイドルシステムを大いに参考にした。

 こうしたアイドル文化は、熱心な音楽ファンからはしばしば軽んじられてきた。そうした場合、自分たちで作詞・作曲をしないことや、あくまでも芸能プロダクション主導であることがその理由とされてきた。つまり、活動を自分たちでコントロールしていない「操り人形」だとする認識――メンバーたちの主体性の希薄さが、アイドルが軽んじられてきた最大の要因だ。

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 もちろん当事者はこうした視線に対し、さまざまに反駁してきたのもたしかだ。自身で作詞する者は少なからず存在し、たとえば小泉今日子のようにセルフプロデュースをする存在もいた。あるいは、ライターの香月孝史が看破したように、熱心なファンはそうした「操り人形」としての存在性からこぼれ落ちる「主体性」こそをアイドル当事者に求め、消費してきた側面もある(香月孝史『「アイドル」の読み方』 2014年)。

 実際、今回のBTSの発言も、一般的には「アイドルの主体性の発露」として好意的に捉えられてきた向きがある。

©AFLO

 しかし、いくらファンが能動的にアイドルの「主体性」を読み込んだところで、現実的にグループアイドルの活動を芸能プロダクションが主導していることは間違いない。