作家、イラストレーターなどとして活躍中のみうらじゅん氏。同氏の二大癖である「収集癖」と「発表癖」は、物心ついた時から始まり、還暦を過ぎた現在まで続いている。自宅や事務所、倉庫内は収集品の数々で膨れ上がっているという。

 ここでは、みうら氏が収集品の数々を「マイ遺品」と名付けて一挙に大公開した著書『マイ遺品セレクション』(文春文庫)から一部を抜粋。同氏が収集するヌートラ、本命盤、ローリング、栗田ひろみについて紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く

◆◆◆

ADVERTISEMENT

①ヌートラ

 

 “ヌード”には大別して、アートと下品がある。前者はあくまで美の追求をモットーに女体をモチーフとするが、後者はいやらしさのみ伝えるものだ。これは正義の論理と同じく、戦いになった時、どちらが正しくてどちらが間違っているとは一概に言えない。僕が古くから後者を推してきた理由は、意外と上品に育てられたからだろうと思う。うちの家庭は厳格では決してなかったが、ことエロに関しては不毛地帯だった。

 父親がたまに買ってくる週刊誌も、ヌードが1つも載ってない硬めのものだったし、オカンに至ってはいやらしいものを家庭に持ち込むことを激しく拒絶してた。僕には一般的に言われる反抗期というものがほとんど無かったが、強いて言えば下品がそれに当たる。 

 下品なものを手にする時の“後ろメタファー”。上品に育った故の下品に対する憧れがハンパないわけだ。それは収集という持ち前の癖も相まって、大量のエロ本を隠し持っては見つかり、捨てられ、その繰り返しが僕の青春だった。

 でも、エロ全般が好きなわけじゃない。“脱いでりゃいいんでしょ”と、開き直りに似たヌードには一向に感じない。特にスマイル&ヌード。性に対して明け透けな欧米ヌードを見るにつけ、“何がそんなに楽しいんだ?”と、疑問に思ってきた。

 その代表格が今回、紹介する『ヌード・トランプ』(通称『ヌートラ』)である。これは昭和の時代に“慰安旅行”と呼ばれてたいやらしいオヤジ主体の社員旅行で頻繁に登場した品だ。トランプカード全てが違った写真のヌード(欧米ヌードも多いが、中には国産ヌードも有り)。

 

 たぶん、宴会終わりでまだ元気のある社員がポーカーやダウトなどに興じたのであろう。「おもしろいからやんない?」と、中には眠い目の女子社員を誘い、「ヤダぁー! このカード、何?!」などと声を上げるのをニヤニヤしながら見つめる行為(今で言うセクハラ)を楽しみにしていた輩もいたに違いない。そんな兵どもの夢の跡がヌートラの世界なのである。 

 今では温泉街の潰れそうな土産物屋の片隅にひっそりとその身を隠していることがあり、僕は見つけ次第、捕獲。そして保護という名目で収集している。どれも基本はスマイル&ヌード。僕の好きな淫靡な世界ではないが、本当の意味での下品とはこういうことを言うのではないかと思うのだ。