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『マイ遺品セレクション』より #2

2022/07/06

source : 文春文庫

genre : エンタメ, 娯楽, ライフスタイル

note

③ローリング

 

 未だ、オリンピック競技に入れてもらってない種目がある。それは『ローリング』だ。 

 その大きな理由に、まず、選手がオールヌードであるところが挙げられる。これではテレビ放映の許可はいつまで経っても下りない。オールヌードをどうしても譲れないのは何故か? 選手に聞くことは出来ない。相手がヌー銅(“ヌード銅像”)だからだ。それならと一度、著名な銅像作家の方にその点をお伺いしたことがあったのだが、「たぶん、裸である理由は特にない」とおっしゃった。元が西洋彫刻で、モチーフとなった女神がその姿だったからなのかもしれない。

 

 次に“背骨は大丈夫か?”という、競技を見る側の心配がある。そりゃ、本当に体の柔らかい人がこの世に存在することは知っている。だが、ソロ・ローリングはまだしも、ツイン、トリオ、さらにはセブン・ローリングともなれば、一番下で支えてる人の背骨はその重圧で折れてしまうことなど素人の目でも分かる。

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 きっと、その判定は各選手のポーズがピタッと決まった一瞬で技術点や芸術点を出すものだと思うが、それにしても無茶過ぎる。遠目には単に大きな輪が何重にも重なってるとしか見えないトゥーマッチ・ローリング。少しでもポージングが崩れたら大変だ。競技会場は惨状と化すだろう。

 

 本来なら“サークル”と呼ぶに相応しい種目であるが、僕はこう思うのだ。人は可能な限り何だってやるだろうと。キャタピラーのように前進するチームが必ず現れる。選手と選手の距離感をキープしながらのローリングに世界中の人はアッと驚くだろうし、金メダルは間違いない。

 もう、その時点では選手たちがオールヌードであったことなど観戦する者は気にならなくなっているかもしれないが、もう一度ここで改めて問いたい。レオタードくらい身に着けてはどうだ?

 ヌー銅は大概、公園や駅前など人通りの多いところを狙って立っている。辛うじて救われているのは人肌の色をしていないというところだ。想像して欲しい。もし、ヌー銅に着彩が施されていたとしたら? 

 特に思春期を迎える少年少女にとってその姿はどう映るのだろうか。そんな理由もあってか平成に入ってからは、とんと目新しい銅像は現れていない。ローリングがオリンピック競技に入れないことは仕方ないとして、今後も絶滅危惧種のヌー銅を僕は各地を回り捜し、撮影し続けていく所存である。