昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集観る将棋、読む将棋

2022/07/08

中学受験の実技試験では、試験官の島朗九段と対局

「荻窪」の席主・新井さんが当時を振り返る。

「道場を経営して24年になります。1999年に『吉祥寺』を開始し、2011年に東日本大震災の影響で一度はたたみましたが、2012年に『荻窪』として再開しました。

 和史君が初めて来たのは、『吉祥寺』を始めて3、4年ぐらいでした。香川女流四段はおてんばでね、髪も短くて『俺、スカートなんかはかねえよ』といっていたけど、中学校に入ったら急に女の子らしくなった(笑)。

 奨励会には青嶋未来六段、三枚堂達也七段、井出隼平五段、谷合廣紀四段、伊藤沙恵女流名人が先に入って、例会があると『吉祥寺』に来られないから、和史君はひとりでポツンとしていました。寂しそうだから一緒にUNOをやったこともあります(笑)。彼はここ一番のときに負けちゃうから、『ノミの心臓だなぁ』なんていっていたかな。でも努力家だからね。昔から人の悪口をいわないからみんなに好かれます。人柄のよさはいまも変わりません」

「将棋サロン荻窪」の席主・新井敏男さん。老若男女に気さくに接し、プロ、アマチュアを問わず親しまれている

――東京都立白鴎高等学校・附属中学校には、将棋の特別枠で合格したそうですね。これまで何人ものプロを輩出した中高一貫校で、どのような生活を送ってきましたか。

渡辺 小学生名人戦で東京都23区の代表になったので、受験資格がありました。実技試験と面接があって、試験官の島先生(朗九段)と対局し、面接は先生も加わって行われました。この年に受けたのは僕と勇気君(佐々木七段)のふたりだけで、あとから島先生に「受かることはほぼ決まっていた」とお聞きしました。

奨励会と両立させやすい学校生活だった

 1年先輩が将棋枠で初めて入学した世代で、プロになったのはさんちゃん(三枚堂達也七段)、伊藤さん(沙恵女流名人)です。この年は競争が厳しく、谷合さんと香川さん(当時は女流アマ名人)は落ちました。ひとつ下はカジー(梶浦宏孝七段)、2個下は山本君(博志四段)です。中1と中2は同じ校舎なので、さんちゃんとカジーは将棋部でもよく指しました。勇気君は将棋部に入らなくて、中学だと陸上部、高校だとバスケ部に入っていたそうです。

 

 白鴎は、対局の記録係や例会で休むと公欠扱いになり、試験と被ると追試を受けられたので、奨励会と両立させやすかったです。2年半で初段までいき、高校を卒業して大学生になった直後に三段になりました。当時は将棋をちゃんと勉強したというよりは、「吉祥寺」と「荻窪」で仲間と楽しく指しているだけだったので、みんなに引き上げてもらったようなものです。

z