ダジャレ王・豊川孝弘七段の唯一の弟子、渡辺和史五段(27歳)が好調だ。2021年度は20連勝で連勝賞を受賞し(藤井聡太竜王は19連勝)、C級1組に昇級して五段に昇段。準公式戦のABEMAトーナメント(団体戦)では、渡辺明名人にドラフト指名を受けた。デビュー3年で、今後の活躍が期待される若手棋士のひとりである。
いままで順風満帆だったわけではない。研修会、奨励会6級から三段昇段、そして三段リーグ在籍がすべて6年ずつと時間がかかった。渡辺は自身の強みについて、次のように語る。
「自分よりセンスがあって天才、また努力している人はいくらでもいます。強いて自分の才能をあげるなら、将棋を辞めようと思ったことがないことです」
例えば、東京都立白鴎高等学校・附属中学校の同級生、佐々木勇気七段が高校1年生でプロになったとき、渡辺はまだ奨励会初段だった。長い修行期間で思うようにいかないこともある。でも、いつも将棋は面白かった。それは三段リーグで降段点をとったときでさえも……。
その気持ちを育んだのは、静かに見守った両親と師匠の豊川七段、そして気心の知れた仲間と過ごす時間だった。奨励会員に集まる場を無償で提供したのは、「将棋サロン荻窪」(以下「荻窪」)の席主・新井敏男さん。
道場経営は24年になる。これまで多くの人々が気持ちよく将棋を指せるように赤字覚悟で尽力し、子どもたちが成長していく姿を何よりも楽しみに生きてきた。
本稿は新井さんの回想を挟みながら、渡辺のインタビューをお送りする。
奨励会試験に通らず、友達の中では一番遅れて入会
渡辺 僕が「将棋サロン吉祥寺」(以下「吉祥寺」。将棋サロン荻窪の前身)に通い始めたのは、小学校4年生でアマチュア三段のときでした。連盟の研修会で一緒によく遊んでいた、香川さん(愛生女流四段)に誘われたんです。当時の僕は、指導対局を受けている最中でも走り回っている子どもでしたね(笑)。
「吉祥寺」には同世代で強い子どもがたくさんいて、行けば必ず誰かと指せる居心地のよい場所でした。定期で毎日のように電車で通ったぐらいで、親に駅でランドセルを引き取ってもらったこともしょっちゅうです。
そのうち、周りの仲間がどんどん奨励会に入っていくので、自分も自然とプロを目指していました。両親は何も反対しなかったです。ずっと将棋を辞めろといわれたことがなく、好きにやらせてくれた両親には感謝しています。
豊川門下になったのは、新井さんの紹介です。師匠と初めて会ったとき、とにかく怖かったんですよ。何か叱られたわけじゃないんですが、ガタイがよくて声も大きかったので迫力がありました。
奨励会試験は小6、中1の夏に受けても通らず、結局は中1の冬に研修会からの編入で入りました。友達のなかではいちばん遅れていて、研修会に人が少なくなったときは寂しかったです。