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──なるほど、王志安さんもその結果として採用された。

:そういうことです。人から「なぜ天安門デモに参加した君がCCTVに就職できたんだ?」と聞かれることもありますが、当時のCCTV新聞評論部は社内の「特別区」です。档案にどういう事情があっても、採用側が使えると思った人間を採用していました。

 なので、CCTV調査部が中国の調査報道の人材のブートキャンプたり得たのです。私たちはCCTVに籍を置いてはいましたが、それは(体制側に転向したと)恥じることではなくて、むしろ最もいい環境で調査報道のプロとして育ててもらえたんです。

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──もしかして、当時の中国ジャーナリズム業界で輝いていた各社には、パージを免れた天安門参加者がかなり多く参加していたのでは?

:ええ。黄金期の中国メディアを支えた人材は、天安門の経験者がかなり多いですよ。ただ、誰が参加したかは、詳しいことは言えません。まだ働いている人に迷惑をかけますし、彼らがネットで吊るし上げられることになります。とはいえ、あの運動への共感は、やはり心のなかにある人もいるでしょうね。

 メディアに限らず現代中国の社会のいろいろな分野を、天安門世代が作ったことは確かです。あの運動は途中から(党内の)政争の犠牲になった面があるのですが、その点を措けば、私たちは参加したことを後悔していないし、青春を燃やし尽くしたと思っています。

食品偽装の一部始終を撮った!

──CCTVの調査記者時代はどんな報道をされていたのですか。

:そうですね、たくさんありますが……。たとえば鉱山事故が起きた場合に、実際は20人が亡くなった重大事故でも、政府の調査を嫌がって(鉱山や地方政府が)「犠牲者2人」などと発表する例があるわけです。実際の犠牲者の遺体はひそかに焼いてしまい、遺族にすこしカネを握らせて黙らせる。1990年代の中国では多かった話です。こういう事件をしっかり調査して、実態を伝えるようにしていました。

日本に移り住んだものの、日本語はほとんど話せない。2022年6月7日。安田撮影。

──特に思い出深い仕事を教えて下さい。

:たとえば1990年代、中国の道路ではあちこちに料金所が乱立していて、通行料をむしり取っていました(「乱収費」)。そこで、CCTV新聞評論部では記者にトラック運転手のふりをさせて、運転席の後ろに隠しカメラを設置して、中国の北から南まで走らせた(笑)。料金所の職員が徴収の理由を喋る様子もすべて撮りました。番組が放送されたときは、かなり大きな話題になりましたね。

 あと、食品偽装問題です。前年の月餅の餡を使いまわして売る、ハムをDDTで消毒する、豆腐皮(中国版の湯葉)の食感をよくするためにステアタイト粉をまぶす……。当時、そういう業者に覆面取材を仕掛けて、食品偽装をやる過程をぜんぶ撮ったりしていました。