「昨年の地震の修繕で預金を使い果たしたのに、どう直せばいいのか。もう瓦礫を拾う力さえない」に…
あまりに被害が酷かったので、管野さんは茫然自失とした。
だが、落ち込んではいられなかった。
仲間の旅館から「昨年の地震の修繕で預金を使い果たしたのに、どうやって直せばいいのか。もう瓦礫を拾う力さえない」という声が聞こえてきたからだ。「このままでは松川浦の旅館が総倒れになってしまう」。管野さんは24軒で作る「松川浦観光旅館組合」の組合長を務めている。「落胆している場合ではない」と気を取り直し、「建物を修繕するために補助制度を改善してほしい」と訴えた。
1年前の地震で適用された補助制度は、修繕費にまず地震保険金を充て、足りなかった額のうち4分の3を国と県が負担する仕組みだった。これだと修繕に保険金をつぎ込む以外にも、残り4分の1と消費税の自己負担が必要になる。預金が足りなければ借金をしなければならなかった。
そのため多額の借金を抱えた旅館が多かった。そもそもコロナ禍の営業自粛で貯えを取り崩しながら生活していた時の災害だ。コロナ禍を乗り切るだけでも大変なのに、2度も地震に襲われたら、再建どころではなってしまう。
「写真を持って市役所に説明に来るように」と言った国会議員事務所に…
管野さんは政府にパイプを持つ全国市長会長の立谷秀清・相馬市長に窮状を切々と訴え、国会議員や県会議員にも説明した。「市役所には行くが、松川浦まで足を伸ばす時間がない。写真を持って市役所に説明に来るように」と言った国会議員事務所には、「現場を見ないで被害の深刻さが分かるはずがない」と、松川浦へ足を運ぶよう強く申し入れた。
そうした成果もあって、保険金が少しは手許に残る場合もあるよう、補助制度に手が加えられた。修繕費に保険金をたかせてから補助するのではなく、まず国と県が4分の3を補助してから、保険金を充てる形にしたのだ。これだと残り4分の1の自己負担分以上に保険金が出れば、その分は手許に残る。
ただしこの場合、手許に残った保険金の半分に当たる額は、国県の補助が減額されるので、実質的に「手許に残る保険金」は半減する。それでもないよりはいい。休業中の旅館にとって、保険金は食いつなぐための「命のお金」でもあるからだ。
「私達にはまだまだ厳しい内容ですが、制度の改善は評価したいと思います」と管野さんは語る。
11年前に起きた東日本大震災の修繕費の借金はまだ残っている
問題は、これで事業再開にこぎつけられるかどうかだ。
管野さんは9月までの営業再開を目指している。それまでの収入はゼロ。