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「人と自分を比べるなんてはしたない」って言葉を発する土壌が…晩年の樹木希林が語っていた“親の教育”への思いとは

「人と自分を比べるなんてはしたない」って言葉を発する土壌が…晩年の樹木希林が語っていた“親の教育”への思いとは

『9月1日 母からのバトン』より #1

note

 たとえば、「騙すより騙されるほうがいい」って言う人がいるでしょ?

 私は「そんなことないよ」って思う。

 自分がボケッとしてたせいで、相手の人に騙すという行いをさせて、騙すことを覚えさせちゃうんだから、これは二重の罪だよって。そう言うとみんなだまっちゃうんだけど、お釈迦さんがそう言ってんですから(笑)。

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 日本の日常用語って、ほとんどが仏教用語なんです。「ありがたい」っていうのも、漢字で書くと「有難い」、難が有る、と書くんだよね。

 人間がなぜ生まれたかと言えば、難を自分の身に受けながらも成熟していって、最後、死に至るため。成熟って、難がなければできないの。だから、私は「なんで夫と別れないの」とよく聞かれますが、夫が私にとっては有り難い存在だからなんですよ。

 無傷だったら人間として生まれてくる意味がない。ただ食べて、空気を吸って、寝ておしまいじゃあね。

不自由をおもしろがる

――そう思うきっかけは何かあったのでしょうか?

 がんになったのは大きかった気がします。それに、年を取るといろんな病気にかかるわけ。腰は重くなるし、目も見えないし、針に糸だって通らなくなる。不自由になるんです。

 でもいいのよ、それで。そうやって人間は自分の不自由さに仕えていくの。不自由さに仕えて成熟して、人生を終えていく。ほんとに成熟という言葉がぴったりだと思う。

©文藝春秋

 不自由なのをなんとか自由にしようとするなんて、思わないのよ。不自由じゃなくしたらつまらないじゃない。

 だいたいね、がんになるからにはがんになるだけの生活があってね、その資質が私にはあったのよ(笑)。ショックでもなんでもない。ただ、それが転移する人と、死ぬ人と、治る人がいて、私は死ぬ人でも治る人でもなく、転移する人だっただけ。それでいいの。

怒られたことが一度もない

――なるほど。それでは改めて、樹木さんがどんな子ども時代を送ったのかをお聞きしてもいいでしょうか?

 なんとなくふり返ってみると、私は昭和18(1943)年の1月15日、戦争の真っただ中に神田の神保町に生まれたんだけど、母親がカフェをやってて、たぶん日銭はあった。父親は兵隊にとられていて、疎開しながら大きくなったんだろうと思うんです。私が4歳の頃に妹が生まれたけど、ひろーい青梅街道にバラックがいっぱーい並んでいる中で暮らしてました。