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「人と自分を比べるなんてはしたない」って言葉を発する土壌が…晩年の樹木希林が語っていた“親の教育”への思いとは

「人と自分を比べるなんてはしたない」って言葉を発する土壌が…晩年の樹木希林が語っていた“親の教育”への思いとは

『9月1日 母からのバトン』より #1

note

 バラックの中二階に布団を積んでいたんですが、ある日、そこの布団置き場で遊んでいたらどーんと落っこちちゃって。そのとき私、死んでたような気がするんだよね。上に布団がかぶさってきたから、息もできなかった。布団を取り払われて、「うわあっ!」と息を吹き返した記憶だけがある。

 その日から私は、打ちどころが悪くておねしょするようになったの。ずーっと、毎晩毎晩おねしょする。ところがさあ、その頃はおねしょするのがどこの子だなんて、人のこと考えてられないのよね。余裕がないの。だから、私は怒られたことが一度もない。

幼稚園での楽しい思い出が全然ない

 それで、どちらかというとひきこもりみたいな子になっていくの。記憶では、だいたいひとりで遊んでる。母親が忙しかったせいで、私を幼稚園に行かせてたんだけど、私はなじめないからイヤでイヤで、ずーっと隅っこで遊んでた。運動会もいっつもビリ。まあその頃は、幼稚園に行かされる子は少なかったんだけど。

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 父親が乳母車を引いて幼稚園に送ってくれたんだけど、それもカッコ悪いなあ、と思ってたんだろうね。幼稚園の前まで来ると、乳母車をひょいって降りて、父に「もう帰んな」って言うんだって(笑)。

©文藝春秋

 幼稚園での楽しい思い出が全然ないのよ。先生が何を言っても理解できない。集合写真があるんだけど、とにかくいっつもはじっこで、みんなから離れて立っている。そういう写真が2~3枚あるの。ああ、これが私だったんだなあって。

1年生や2年生ばかりの「歩き競争」で1位に

 雑司谷小学校には1年から6年まで行ったんだけど、友達の記憶がない。よく覚えてるのは、スポーツが大っ嫌いだったこと。

 でも、いちばん覚えているのが水泳大会ね。6年生にもなると、クロールだとか背泳ぎだとかをやるんだけど、私には競争するほどの能力がなかった。浮いてることはできたんだけど。

 だから、私が出たのは「歩き競争」。周りは1年生とか2年生ばっかり。私だけが6年生だから、背が全然違うのね。ヨーイドンで始めると、すぐゴールに着いちゃう。一等賞だったのよ。

 普通はそれを恥ずかしいと思うでしょ? さすがに。