飲みの席で上司や先輩の自慢話を延々と聞かされ、うんざりした経験のある人は多いのではないだろうか。相手より自分を優位に見せようとする行為は、一般的に「マウンティング」と呼ばれて敬遠されている。
ここでは、エッセイストの酒井順子さんが、移ろいゆく“恥の感覚”を様々な角度から読み解いた一冊『無恥の恥』より一部を抜粋。“俺の凄さ”自慢をせずにはいられない人たちを見つめた「男の世界」を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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男の世界
同世代の男性達何人かと、久しぶりに集った飲み会でのこと。中には、いわゆる出世をしている人もいれば、そうでもない人もいたわけですが、「あ」と思ったのは、前者から滲みでてくる“出世臭”のようなものでした。「俺が手がけた仕事」とか「こんな偉い人とも親しくしている」とか「モテたりもしているのだ」といったことを会話の端々に挟み込んでくるのみならず、さほど出世していない人に対しては、アドバイスのようなものまで。
50代にもなると、会社員の人生においては、この先どの辺りの立場まで行きそうかが見えてきます。出世に成功している人からは自信が溢れ、そうでもない人は「俺が出世していない背景には、様々な不運や仕方のない事情があって……」という説明をしたがる。
男女共同参画云々(うんぬん)と言っても、会社という場はいまもって、男の世界です。そして男の世界では延々と、こんな風に上だの下だのとやっていたのだなぁ。……という感覚は、自由業の私にとって新鮮でしたが、新鮮であると同時に、恥ずかしくもあったのです。
出世した男が醸(かも)し出す“出世臭”も、出世しなかった男が醸し出す“言い訳臭”も、昔の友人としては、特に見たくはないものでした。しかし「俺は出世した」という事実も、「出世しなかった理由」も、彼等にとっては久しぶりに会った昔の友人にアピールせずにはいられないところだったのでしょう。単に昔を懐かしむ感覚で参加した私は、いきなりその生々しい男の欲求の放出に接して、赤面したのだと思う。
出世自慢はわかりやすいとしても、出世しなかったことについての弁からは、痛々しさも漂います。自分のせいではなく、周囲が悪かったから満足のいく地位を得られていないのだとか、これからもっとデカいことをしてみせるといった発言に対しては、
「ふーん……」
としか言いようがない。「俺、別に出世とか興味ないし」などと言いながらも、「本当は出世したかった」という気持ちが滲むところが、恥ずかしい+悲しい……で、はずかなしい。