目の前の他人が物を落とすところを見て、とっさに声をかけられるだろうか。「余計なお世話かも」「ほかの人が助けるだろう」といった考えが渦巻いて、結局声をかけられなかった……という経験のある人も多いかもしれない。

 ここでは、エッセイストの酒井順子さんが、移ろいゆく「恥の感覚」を様々な角度から読み解いた一冊『無恥の恥』より一部を抜粋。日本人が人前での善行に戸惑うときの心理について書いた「善行を妨げるもの」を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

酒井順子さん ©iStock.com

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善行を妨げるもの

 その時私は、とあるアジアの国の国際空港にて、日本に帰る飛行機への搭乗を待っていました。日本の航空会社でしたので、ゲートには多くの日本人が集まっています。異国で数日を過ごした身にとって、それはちょっとホッとするような、ちょっと嫌なものを見るような、そんな感覚。

 椅子に座っていると、私の視線の先には、日本人とおぼしき一人の紳士がいたのですが、彼がポケットに手を入れて何かを取り出した時、一枚の紙が下に落ちました。航空券にしては小さいその紙が落ちたことに、紳士は気づかない。

 あ、あの人、何か落とした。

 ……と、私は確かにそれを目視していたのです。が、「すぐに気づくだろう」「誰かが教えるだろう」と思い、そのままにしてしまいました。

 するとしばらくして、お掃除のおじさんが登場し、その紙を箒(ほうき)で掃(は)いたかと思うと、一瞬にしてちりとりの中へ。「あ」と思いましたが、「ということは単なるゴミだったのだ。航空券とか、何か大切なものだったら、おじさんも一度拾って、確かめるだろうし」と、私は自分を納得させてみます。

 しかし数分後、紙を落とした紳士が、ゴソゴソと何かを探しだしました。ズボンのポケット、ジャケットの内ポケットから始まり、ビジネスバッグの中へと、捜索の範囲は広がる。さらにはキャリーバッグを開けてまで、必死に探しているではありませんか。

 その姿を見て私は、紳士が落とした紙片が、彼にとってものすごく大切なものであったことを知ったのです。しかし私は、それが既にちりとりの中に入ってしまったことをも知っているし、お掃除のおじさんはどこかに行ってしまった後……。

 私の胸は、罪悪感でいっぱいになりました。紳士は血相を変えて探しまくっているけれど、見つかるはずがありません。

「あなたが探しているものが何かは知りませんが、それがどこにあるのか、実は私は知っているのです」

 と、彼に言ってあげた方が親切だったのかもしれませんが、そんな勇気も無い。そうこうしているうちに彼は足早にどこかへ去っていき、彼がその飛行機に乗ることができたかどうかは、定かではありません。