昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2022/07/23

 ちょうどその時、寺院で遊んでいたキム・フックと幼いジャンの前に、鳥が降り立つ。最初にキム・フックが、続いてジャンが、鳥を捕まえようと追いかけた。

「逃げろ!」という南ベトナム兵の声が聞こえ、キム・フックは立ちすくんだ。

 寺院にいた他の住民らが次々と国道へ飛び出す。彼女もあとへ続こうと、寺院の正面へ急ぐ。走るのは得意ではなかったが、ともかく足を動かすほかない。まだ歩幅も小さく、ぽてぽてとしか走れない3歳のジャンが気になった。

 ジャンを気にしたのは、近くの南ベトナム兵も同じだ。兵士がジャンを抱え上げ、走り出した。

少女と家族を襲った「ナパーム弾」

 その時だ。

 耳をつんざくほどの轟音。キム・フックが見上げたその目に、2機目の爆撃機の機影が映った。どんどん近づいてくるA-1スカイレーダーの灰色の胴体に視界を遮られ、彼女は恐怖に足がすくんだ。

 胴体から、細長い筒型の弾頭が4つ落ちてくるのが見えた。「ブッブッ、ブッブッ」という短く鈍い音。キム・フックはその音を今も忘れられない。爆弾がジグザグと軌跡を描いて落ちてくるのを目にし、驚き、慌て、さらに走った。

 爆弾は、彼女の真後ろに落ち、炸裂した。

 異常な高温であらゆるものを焼き尽くす、悪名高いナパーム弾だ。

 キム・フックの背後でたちまち炎が立ちのぼった。背中から首、左腕にかけて、あっという間に火が回る。後ろでゆわえていた長い髪にも火がついた。着ていた薄手のコットンの服は、瞬時に炎に剥ぎ取られた。

 瞬間、地面に転がった。近くにいた12歳の兄タムに助け起こされた。見る見るうち、キム・フックの左腕に火が回る。反射的にそれを払った右手にも火がついた。

 分厚い黒煙が目の前を覆い尽くし、彼女には、もう誰の姿も見えなくなっていた。

 炎が後ろから追いかけてくる。逃れようと前へ、前へ。衣服は完全に燃え落ち、まったくの裸になっていたが、構う余裕などない。

 ジャンを抱きかかえたはずの兵士の姿が視界に飛び込んだ。迷彩の軍服を身につけていた彼は軍服ごと火だるまになり、のたうち回った。その瞬間、腕の中のジャンが取り落とされる。ジャンは地上で、ナパームの炎に包まれた。

 背後から祖母タオが走ってきた。焼けただれたジャンを抱き上げ、裸足で駆けた。

 母ヌーは、長女ロアンの生後2ヵ月の娘――キム・フックにとっては幼い姪、ヌーにとっては孫――を抱えていた。逃げる際、哺乳瓶を持って出るのを忘れたのに気づき、泣き叫ぶ孫娘を見てきびすを返した。哺乳瓶を拾い上げ、再び逃げようとした時に、目の前でナパーム弾が炸裂した。もし哺乳瓶を取りに戻らなければ、母はナパーム弾の直撃を受けていたかもしれない。

 国道でカメラを構えた報道陣にも、4つの爆弾が落ちてくるのが見えた。一機目の爆弾投下から一分も経たないタイミングだ。ニックはすぐに「ナパーム弾だ」と気づいた。ナパーム弾は比較的軽く、ゆっくりと落下するのが特徴だからだ。その威力を戦場取材で何度も体感していたニックは、とっさに身構えた。

 4発のナパーム弾が寺院前の国道に落ちるや、炎とともに転がって炸裂した。オレンジ色の炎が横殴りに、かつねっとりと、右から左へと走り抜ける。まるで炎をまとった龍がのたうち回るかのように。

z