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「助けて、孫を助けて」老女の手には全身火ぶくれで皮膚もずるりと剥けた3歳の少年が…悪魔の兵器“ナパーム弾”の最悪

『「ナパーム弾の少女」五〇年の物語』 #1

2022/07/23

戦場の様子を写したベトナム人写真記者

1973年、「戦争の恐怖」でピューリッツァー賞を受賞したニック・ウト氏 ©getty

 6月7日夕、AP通信サイゴン支局のベトナム人写真記者ニック・ウトは、上司から切り出された。「チャンバンに行ってもらえないか」。

 ニックはすぐには飛び出さなかった。すでに夜になりつつあり、夜道の移動や取材は解放戦線の兵士に銃で狙われる危険がある。21歳ながら、すでに数々の前線を経験してきたニックはそう判断し、翌朝早く現地に向かうことにした。

 ニックはニコンとライカのカメラを2つずつ、レンズも24ミリの広角から300ミリの望遠まで揃えた。カメラを4つ用意したのは、フィルム交換の最中に決定的瞬間を撮り逃がさないためだ。当時はフィルムの巻き戻しも手動で、たわませずに装填するのにも手間がかかる。たっぷりのフィルムと、防弾チョッキ、ヘルメット、水筒も用意し、迷彩服姿で午前5時半頃、支局をバンで出発した。

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 午前7時半頃にチャンバンに着くと、車や自転車、バイクなどがひしめき、車では先へ進めない状態になっていた。戦闘はすでに3日ほど続いていて、おびただしい数の避難民が逃げ惑っている。自宅にいられず路上に寝泊まりしたと見られる人たちの姿もあった。方々から黒煙が立ちのぼっている。

 ニックはバンを降り、逃げる人たちを撮りながら、走って寺院の方へ向かった。国道のバリケードのそばにいた南ベトナム兵に記者証を見せ、報道陣に合流し、挨拶し合う。記者の多くは、互いに顔見知りだ。

 数百メートル先の寺院の近くから銃声が響いた。爆発音、そして黒煙の連続。ニックは時折、交戦する兵士らの方へ注意深く近づき、写真を撮ってはバリケードの手前へ戻った。傷を負い、あるいは息絶えて草の上で横たわる兵士の姿も目立つようになる。背後では住民が野次馬的に集まり、少年らがアイスクリームや果物を売り始めた。

 英テレビネットワークITNのクリストファー・ウェインは、おそらくニックより早く現場に着いた報道陣の一人だ。ITNのベトナム戦争報道は、戦場記者として名高いマイケル・ニコルソンらが担っていたが、車で移動中にロケット弾を受けたことで、ITNの指示で前線から一時引き上げた。代わりに急遽、4月から約2ヵ月間派遣されたのが、英軍での経験もある32歳のウェインだ。

 ウェインは撮影クルーとチャンバンに赴き、当初はもっと奥の戦闘現場で撮影しようと試みた。だが南ベトナム兵に遮られて退却し、寺院前へと下がった。その途中でウェインが目にしたのは、寺院に隠れていた一般のベトナム市民たちだ。

 ウェインらを追い立てた南ベトナム兵らはその後、辺りの竹なども切って、急ごしらえのバリケードを作った。

 上空を昼前から覆っていた暗雲が、気づけば地上近くまで垂れ込めていた。突如、猛烈な雨が一帯に降り注ぎ始める。熱帯モンスーン気候の雨季特有の激しいスコールだ。報道陣らは分厚いポンチョ様の軍用レインコートを着込み、カメラや機材、フィルムを守った。この様子だと爆撃機はやって来そうにないな、という雰囲気が記者の間に漂い始める。

 AP通信のニックは、戻り時間が気になり始めた。大渋滞に巻き込まれれば、支局に戻るのが遅くなる。避難する人たちや地上の戦闘の写真はいくつか撮っていたし、これ以上現場に居続けてライバル社に先んじられても、という心配が頭をよぎった。