このまま手ぶらでは帰れない
AP通信は当時、迫力ある戦場のルポや写真を繰り出すUPI通信との競争にしのぎを削っていた。それに、暗くなる前に戻らないと、道中で解放戦線の狙撃手に狙われる危険もある。
他の記者は何人か、「そろそろ、写真はある程度撮ったな」と現場を離れ始めた。
一方、テレビ映像が必要なITNとしては、ほとんど何も撮れていないに等しかった。ライバルの英BBC記者マイケル・ブレイキーが現場にいなかったのはひとまず幸いだったが、このまま手ぶらでは帰れない、とウェインらは現場に居続けた。
この時、寺院の敷地内にある離れでは、ウェインが目にした避難民が引き続き身を潜めていた。近くに住む9歳の少女キム・フックや母ヌー、祖母タオ、きょうだい、いとこらだ。近所の住民も合わせて30人ほどで身を寄せ合った。南ベトナム兵も寺院を避難先として案内していて、住民らも「聖なる寺院は安全だろう」と考えたのだ。
寺院の外で銃声や爆発音が鳴り響き、窓から黒煙が見えるたび、一同は怯えた。
昼どきになり、持ち込んだ食べ物で、みんなで昼食をとった。お腹を満たすと日常の空気を取り戻したような気持ちになり、女性たちを中心にお茶でくつろぎ始める。キム・フックは仲良しの従兄弟、3歳のジャンらと遊び始めた。
外で続いていた豪雨がやみ始めた。
国道で陣取る報道陣の間にも、いよいよ現場から引き上げようかという雰囲気が高まった。
突如、上空に現れた攻撃機
その頃だ。帰り支度のニックが振り向くと、偵察機が投下したロケット弾から白煙が上がった。
地上にいた南ベトナム兵がすかさず発煙弾を放つのがニックにも見えた。寺院の近くから鮮やかな、色つきの煙が立ちのぼる。
白煙と、色つきの煙にはそれぞれ意味がある。どちらかが、北ベトナム兵や解放戦線の兵士が潜む位置に印をつけるため。もう片方は、味方である南ベトナム兵の居場所を知らせるためだ。この時放たれた2つの相反する目印は、いくらも離れていない。
見上げると、南ベトナム空軍のA-1スカイレーダーが2機、低空飛行で現れた。
何かが起きるのか――? ニックは再び、300ミリの望遠カメラを構えた。
1機目から爆弾が放たれた。いくつかが不発に終わったが、いくつかが爆発した。いずれも寺院のすぐそばだ。
ITNのウェインは、2機が登場する意味をおしはかった。1機目が誘い水的に爆弾を放って敵兵を茂みなどからおびき出し、2機目がすぐさま大きな攻撃を仕掛けるのは第2次世界大戦でもよくあった常套手段だからだ。
ウェインは、寺院にいた避難民らを思った。地上の南ベトナム兵が、居場所を知らせる発煙弾を放っている。まさか攻撃はしないだろう、2機目は何もせず飛び去るかもしれない、と思いつつ、動きを撮影するようクルーに伝えた。
近くに、米大手ネットワークのクルーがいた。テレビカメラを構えたベトナム人スタッフが、「撮りますか?」と聞いたが、米国人記者は「いや、いいよ。ただの空爆だ」。空からの攻撃は日に何百回と起きる見慣れた光景だ。全てを逐一撮影して限られたフィルムを空費したくない、という心理も働きがちだった。
寺院では南ベトナム兵が、1機目の爆弾投下に慌て、叫んでいた。発煙弾は放たれたが、2機目が気づかず攻撃してくるかもしれない――。