「こんなところでは働けない」――悪質な職場環境から妻は体調を崩し、夫は契約終了、マンションからの退去命令を通告された日系ブラジル人夫婦。このままでは夫婦揃って路頭に迷うことになると思い、最後に頼ったのは神奈川県座間市役所だった。
「断らない相談支援」を理念に掲げる生活援護課が、困窮した2人に差し伸べた救いの手とは? ジャーナリストの篠原匡氏の新刊『誰も断らない こちら神奈川県座間市生活援護課』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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使い捨ての日系ブラジル人
暗闇の中でもがく人間がもう一人いた。日系ブラジル人3世のペドロ・ミウラ(仮名)である。深夜のパン工場で働きながら、ペドロは自分の人生がどこまでも落ちていくような感覚に震えていた。
ブラジル・サンパウロ出身のペドロ。大学ではマーケティングを専攻したが、大学在学中の21歳の時にカメラマンとして働き始めた。家計が厳しく、少しでも家にお金を入れるためだった。
そして、大学を卒業すると、新聞などメディア向けのカメラマンとして本格的に活動し始めた。
腕が認められてF1チームの専属カメラマンに抜擢されるなど、仕事は順調だった。ところが、2016年に始めたレストラン経営で躓いてしまう。サンパウロ郊外で寿司レストランやホテルを開こうという友人の誘いに乗ったのだ。
富裕層を中心にブラジルでも寿司人気が広がっていたため、面白い話だと感じたペドロは経営に参画したが、出店などに想像以上の資金がかかり、店の経営がなかなか軌道に乗らなかった。
2年間続けたが、先の可能性がないと感じたペドロは、レストラン経営に見切りをつけ、経営から身を引く。そして、有り金を失ったペドロは金を稼ぐため、先に日本に出稼ぎに来ていた親戚を頼って来日した。2018年4月のことだ。
来日したペドロは、1年間の契約社員として、親戚が働いていた九州の自動車部品工場で働き始めた。自動車の座席シートで使う素材を裁断する工場である。だが、それからすぐに「これは無理かも」と感じた。十分な安全対策は施しているようだが、裁断工程を見て、いずれ怪我をすると感じたのだ。
親戚の紹介で働き始めた手前、すぐに辞めては申し訳ないと思ったが、半年ほど働いて工場を辞めた。ペドロの直感が正しかったのだろうか、彼が辞めた後、しばらくして手に怪我を負った親戚はブラジルに帰国している。
次の仕事は、大手事務機器メーカーの製品を梱包する物流センターの仕事だった。この仕事は職場の雰囲気もよく、ずっと続けたいと思ったが、1年後の2020年3月に契約期間が切れ、雇い止めに遭う。
時あたかも、新型コロナウイルスが広がりを見せ始めた時期である。先々の需要減を見越して、会社が人員削減に動いた可能性はもちろんある。ただ、人件費の上昇を抑えるため、外国人労働者とは契約を更新せず、1年で入れ替えるというのはそれほど珍しいことではない。
ペドロのような外国人労働者にとって、契約満了で仕事を失うということは、会社が借りたアパートを追い出されるということを意味する。感染拡大に世界中が警戒する中、ブラジルに帰ることもできず、スマホを手に、外国人でも働くことのできる仕事を必死に探した。