厳格な父親の影響から自己肯定感を失い、何もチャレンジできずに家の中で歳を重ねる男・谷田部(仮名)。そんな彼を救ったのは、「断らない相談支援」を掲げる座間市生活援護課のある女性だった。
10年以上、引きこもりだった彼が社会復帰し、自立を望むようになった理由とは? ジャーナリストの篠原匡氏の新刊『誰も断らない こちら神奈川県座間市生活援護課』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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父の悪口を言う男・谷田部
「だから僕は何もできないんだ!」
突然、声を荒らげだした男性の姿に、ユニバーサル就労支援の伊藤早苗は面食らった。それまでの淡々とした話しぶりからは想像もつかなかった。
「でも、お父さんは今はあなたと話したいと思っているはずだよ」
「そうであればどんなにいいか!」
隣に座っている母親は、「今ここでそんなことを言っても仕方ないじゃないの」と、息子を必死になだめている。
座間市に住む谷田部透(仮名)は高校卒業後、ほとんど働くことなく自宅で蟄居してきた。20代前半の一時期、古書店でアルバイトした経験はあるが、長続きせず、そのまま10年以上も家の中である。
周囲の空気がなかなか読めず、終わった話を一方的に続けてしまう谷田部は他人とのコミュニケーションが得意ではない。中学や高校でも孤立しており、他人といるよりも自分の世界に浸っている方が好きだ。
そんな谷田部が伊藤のところに来たのは、生活援護課が主催した就労準備支援に関する講演に母親が参加したことによる。ここなら自分の息子の相談に乗ってもらえるかもしれない──。そう思って、伊藤のところを訪ねてきたのだ。
就労準備支援とは、就労経験がほとんどない、引きこもり状態にあるなどすぐに就労できない人に対して、就労体験など就労の前段階のトレーニングを提供することだ。ユニバーサル就労支援は生活困窮者自立支援法で定める就労準備支援とは異なるが、母体である社会福祉法人中心会が運営する高齢者施設で、居住している高齢者やデイケアの利用者にお茶やお菓子を出す、後片付けをする、リクリエーションの道具を作るなどの就労体験を提供している。
ここで、決まった時間に通う、知らない人とのコミュニケーションに慣れるなどのトレーニングを終えた利用者は、地元の育苗会社や旅館など、伊藤が開拓した就労の場に羽ばたいていく。
伊藤はユニバーサル就労支援を始めた2014年4月から2022年3月までの8年間で、440人の相談を受けた。そのうち高齢者施設や児童養護施設などユニバーサル就労支援での実習に参加した人は345人、その後、就労に至った人は154人を数える。生活援護課が掲げる「断らない相談支援」を就労面で支える存在だ。