谷田部の態度が豹変したのは、ユニバーサル就労支援の仕組みについて一通り説明し、家族について尋ねた時のことだ。
谷田部によれば、父親は厳しい人で、子どもの頃から何をしても否定されてばかりだった。それゆえに、自己肯定感は低く、自分は何もできないと感じるようになったという。何か新しいことをやろうと思っても、「どうせできない」という思いが頭をもたげ、失敗するぐらいであればやめようとあきらめてしまうのだ。そして、今の今までチャレンジできず、家の中で歳を重ねている。
そんな自分のふがいなさは、もちろん自覚している。だが、長い引きこもり生活の中で、その怒りは自分を否定し続けた父親に向かうようになっていた。だからこそ、冒頭のような言葉が口をつく。
「ボーダー」な人々
伊藤のところには、似たような状況にある人が次々にやってくる。
40代前半の成田健太郎(仮名)は小学校で不登校になって以来、30年以上、自宅に引きこもっていた。十数年前に母親が亡くなった後は、会社員だった父親と二人で暮らしていた。成田によれば、父親との仲はよく、家の中では「主夫」のような役回りだったようだ。だが、その父親も2018年に70代半ばで死亡。一人残された成田は、今は近隣の自治体で生活保護を受給している。
そんな成田が市役所の担当者に連れられてきたのは2020年9月のこと。今は生活保護を受給しているが、いずれは働きたい、そのために自立に向けたトレーニングを受けたいという話だった。
ずっと家にいたためか、成田は腰の下まで伸びた髪を輪ゴムで留めていた。言葉もなかなかでてこず、蚊の鳴くような声でぽつりぽつりと話すといった状態だ。それでも、本人に自立の意思があるのであれば、できる限り伴走するのが伊藤のモットーである。中心会が運営する「えびな北高齢者施設」で週1日、食器の片付けや消毒などの仕事をしてはどうかと提案した。
この時は「家に帰って考える」ということで終わったが、待てど暮らせど連絡が来ない。
「ここにはもう来ないのかな」と思っていたが、1年後の2021年10月、成田が再びやってきた。話をすると、やはり働きたいという。そこで、髪を切ってもらった上で、週2回、2時間のペースで働いてもらうことにした。配膳など高齢者とのコミュニケーションが発生するような作業は苦手で、窓際の流し台でコップを洗うばかりだが、今のところ遅刻することなく通っている。