「こんなところでは働けない」
次の仕事は、大手コンビニとも取引のあるパン工場だった。仕事は夜10時から朝8時まで。アパートの家賃として5万5000円を抜かれるが、月給約20万円の仕事である。
ただ、夜勤ということもあり、ここの仕事は厳しかった。それ以上に、ペドロを苦しめたのは職場の人間関係だった。それも妻の人間関係である。
実は、ペドロは子どもをブラジルに残し、同じ日系人の妻とともに来日していた。これまでの職場でも、妻と会社が借りたアパートに入り、同じ職場で働いてきた。その妻が職場でいじめに遭い、体調を壊してしまったのだ。
「こんなところでは働けない」
そう思ったが、この職場を辞めてしまえば、住むところがなくなってしまう。緊急事態宣言で経済活動が縮小している今、すぐに次の仕事が見つかるかどうかも分からない。
そのため、我慢して働き続けたが、1年後の2021年3月、再び契約終了を通告された。しかも、1カ月後までにアパートを退去してほしいという。
このままでは夫婦揃って路頭に迷うことになる──。
意を決したペドロは生活援護課に電話をかけた。「武藤さん、助けてください」と。
断らない相談支援
ペドロの電話を受けた武藤清哉はすぐに状況を察した。
「ああ、あの時の人か。雇い止めに遭ったんだな」
そして、手元のファイルを開き、過去のやり取りを記録した資料に視線を落とした。
「令和2年3月30日、妻とともに来庁。仕事の契約が切れるので寮を出なければならない。一時生活・就労・家計改善支援で住まいと仕事を支援」
ビザのコピーと一緒に綴じられた資料には、そう書かれている。座間市生活援護課の自立サポート担当を務める武藤清哉は、生活援護課を率いる課長、林星一の右腕として日々生活困窮者の相談に乗っている。
実は、来日後、2番目に働いた物流センターは座間にあり、ペドロ夫婦は市内のアパートで暮らしていた。その時に、雇い止めの相談で市役所を訪問していたのだ。
もっとも、この時はペドロが自分でパン工場の職を見つけたため、生活援護課として支援することはなく、それっきりになっていた。それから1年後、向こうからわざわざ電話をしてきたということは、恐らく厳しい状況に追い込まれているに違いない。
ペドロの電話を受けた武藤は、いつもののんびりした口調で応えた。
「ペドロさん、お久しぶりです。どうかしましたか?」
「パン工場の仕事が切られて。もうすぐアパートを出ないといけない」
「今はどちらにいるんですか?」
「埼玉のアパートです」
過去に座間市に居住していたとはいえ、今のペドロは別の自治体に住んでいる。原理原則で言えば、ペドロが暮らしている自治体につなぐべき案件だ。だが、生活援護課は困窮者を見捨てない。