ペドロの電話を受けた武藤は次のように提案した。
「シェルターが一室空いていますから、座間に来ませんか。座間で一度落ち着いて、住まいとペドロさんが楽しめる仕事を探しましょう」
「シェルター」とは、仕事を失った人が一時的に住めるように、座間市が確保しているアパートの一室だ。生活困窮者自立支援事業として、座間市がNPOワンエイドに委託している一時生活支援事業である。居住できる期間は3カ月だ(場合によってはさらに3カ月延長が可能)。
武藤の思いがけない提案に、ペドロは思わず言葉を失った。教師としてブラジルに渡った祖父に、日本の話はよく聞いていた。日本は街も清潔で、社会も安定している。日本人も勤勉で、礼儀正しく、忍耐強い。お前にも日本人の血が流れているのだから、日本人として恥じない人間になりなさい、と。
第二次大戦で灰燼に帰したあと、数十年で世界有数の経済大国になったのも、冷戦下の国際情勢の影響はもちろんあるが、日本人の国民性によるところも大きい。
ところが、実際に出稼ぎに来てみれば、日本は外国人である自分たちに無関心で、単なる労働力の一つとしかみなされていなかった。日本という国に幻滅しかけていただけに、武藤の申し出に耳を疑ったのだ。
感極まって次の言葉が出ないペドロに対して、武藤はもう一度、尋ねた。
「座間に来ませんか?」
そして、ペドロは答えた。
「是非お願いします」
その目には涙がたまっていた。
その後、シェルターに入ったペドロは生活援護課の就労相談員を務める内山朗彦と仕事探しを始めた。
内山は、高校時代から東京・山谷、大阪・釜ヶ崎に並ぶ「寄せ場」として名高い横浜・寿町の日雇い労働者支援に関わるなど、困窮者支援をライフワークにしている人物である。勤めていたソフトウェア会社を早期退職した後はホームレスや精神障がい者の支援員を務め、2020年4月に生活援護課に来た。
ペドロは内山が見つけてきた子ども向け写真スタジオや座間市内のベーカリーなどいくつかの仕事を体験したが、最終的に隣接する市にあるスポーツクラブで働き始めた。今のところ、受付事務や器具の消毒をし、器具の使い方を利用者に教える程度だが、いずれはインストラクターになりたいという。
住まいの方も既にシェルターを出て、座間市内にアパートを借りた。どん底を乗り越えて自立の道を歩み始めている。
「日本はひどい国だと思っていたけれど、武藤さんのような人もいる。僕もここで生活の基盤を作り、いずれは自分の会社を持ちたい」