文春オンライン

「算数ができない我が子」に勉強を教えながら考えた、ビジネスに求められる“数学的素養”

2022/07/08

genre : 社会, 教育

note

なんでできなくなってるの、ねえ。

 国語も漢字はひたすら読んで書いて、慣用句や品詞も根性だ。あれこれ余計なことを考えず、必要なことなんだからとにかく鉛筆もってガリガリ書いて、書いて、書いて、書いて、書いて覚えろ。言いたいことはそれだけだ。

 一方、算数全般や国語の読解というものは、時間をかけたからできるようになるものじゃありません。もちろん計算の練習や、普段からモノを読む時間をどう捻出するかという人生の時間の広がりが必要な部分もありますが、問題を理解し、求められている答えを出すために、いろんな解法の引き出しの中でどれが適切かを考えて答えることとは本質的に違う面があります。やればやっただけできる、というわけではない。分からないと言われて頑張って教えて、本人も一生懸命理解しようと向き合って、一度例題が解け、類題をこなし、基本問題、応用問題と一通り「できた!」となって、安心した1か月後、まとめのテスト前におさらいをするとできなくなっている。

 お前、できてたじゃん。分かったはずじゃん。理解したんじゃなかったか。

ADVERTISEMENT

 なんでできなくなってるの、ねえ。

 できると思って意気込んでやってみたけど、思ったように解けなくて落ち込んでいる息子に、優しく寄り添う家内。またみっちり教え込んでいる姿を見ると、「勉強ってこんなにむつかしいものだったっけ?」と私なんかは思います。勉強に苦労したことがない人生だったからこそ、息子の「解けない」という苦労をどう乗り越えたらいいのか分からないのです。

 先日、名門私立である早稲田大学の政経学部の入試で、数学が必須になったということで話題になっていました。私に言わせれば、経済であれ政治であれ、数学的素養が必要な局面はそもそも多いわけです。いま私が手掛けている選挙や政策、サービスでのマーケティング、経営・投資の世界でも、渡された資料に並んでいる数字から現状どうなっているのかを量的に判断して意味を読み解かなければなりませんし、割合や確率といった概念を理解できなければ、物事に対する判断でそれが正しかったか間違っていたかすら理解できません。