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――少々ハードですね。

渡辺:でもね、色々なコントをやっていくと、はじめはハードだなって思うようなものも、どんどん楽しめるようになってくるんですよ。「こんな経験もできるじゃん!」って。そういう風に、意外と早い段階で切り替わりましたね。

志村さんの言葉「楽しそうな私がいればいいよ」

――志村さんとは、その後も色々な番組で共演されていきますが、何か影響を受けたことはありましたか?

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渡辺:私が志村さんと番組でご一緒したのは、10代、20代が多かったんです。いつもナチュラルな方で、「楽しそうな私がいればいいよ」と言うようなことを、常に仰ってくださいました。お笑いについて、何かを押し付けられるようなこともなかったし、伸び伸びとやらせてもらったと思います。

 

――カメラが回ってないところでは無口とかシャイな方だと聞いたこともあります。

渡辺:確かに多少シャイなところはあるんでしょうけど、私たちの前では結構明るかったかもしれません。優しい方だったと思います。お仕事に関しては、すごく真摯に考えていらっしゃる。常に妥協しない姿は、現場で見ていても学ぶことは多かったです。コントも、私たちのリアクションを見てその都度対応してくださいましたね。

芸能活動に反対していた父が見ていた志村さんの番組

――その後、渡辺さんはさらに数々のバラエティー番組にも出演され、多いときは同時に5、6冊台本を持っていた時期もあったとか。周りの方の反響はいかがでしたか?

渡辺:周りからは「番組観てるよ!」とか、温かい言葉を頂くことが多かったかな。

 

 あと、実は父から芸能界に入ることをすごく反対されていたんです。おニャン子クラブのオーディションに受かって、翌月には活動がスタートしたので、父が反対したまま、名古屋から出て来ちゃったんですよね。

 ただ、父は、おニャン子クラブはあまり見なかったけど、志村さんの番組は「こっそり見てた」って家族から聞いて。直接父から何か言ってもらえたわけじゃないけど、「あ、観てくれてるんだな」と思ったら、ちょっとホッとしたことは覚えています。