愛知から上京し、おニャン子クラブのメンバーになった渡辺美奈代さん(52)。約2年間メンバーとして活躍しながらソロ活動も並行し、ハードな日々を過ごしたと語ります。おニャン子クラブ解散後は活動の幅を広げ、バラエティーや写真集にも挑戦。今まで「アイドル」として歌っていた渡辺さんを待つ初めての仕事とは――。(全3回の2回目。#1、#3を読む)
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「歌をやっていくのかなあ」
――1987年8月に『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)が終了。おニャン子クラブの解散に伴い、芸能界で活動を続ける方、引退する方などメンバーの進路も様々だったかと思います。渡辺さんは、ソロ活動を継続されました。
渡辺:既に歌も出していたので、そのまま一人の活動が進んでいった感じですね。ただ、番組のスタッフさんたちが、メンバー、一人一人と個人面談をされていて。とても真摯にお話しされている様子を見て、すごいなって思った記憶はあります。
――おニャン子クラブが解散すると共に「はい、さよなら!」と終わるのではなく?
渡辺:全然。芸能界のお仕事を辞めていく方の中には、本当は活動を続けたかった人もいると思うんです。でも、そういった方たちにも親身に話を聞いていたし、すごく温かい方たちだなって思いました。
志村さんが直々に顔に化粧をしてくれた
――おニャン子クラブ解散以降、バラエティー番組にも出演されていきましたね。
渡辺:たぶん、『ドリフ大爆笑』(フジテレビ)が始めだったと思います。当時は、バラエティー番組の中に歌のコーナーがよくあったんですよ。そこで、ゲストとして歌を歌わせてもらって。コントの1つ、2つはやったかな。
――その後、志村さんの『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ)にも出演。ゲストではなく、レギュラーとして本格的なバラエティーに出演されるのは初めてだったと思いますが、いかがでしたか?
渡辺:まさか、自分が子どもの頃からテレビで観ていた志村さんとコントをするのは、驚きでしたね。慣れないことばかりで構えてしまいそうでしたが、その辺も志村さんが察してくださって。いつも自然に接してくれました。他の共演者の方たちもみんな楽しそうにやっていたし、「初めまして」でも入りやすかったんです。