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「中絶すればよかったなんて、赤ん坊に向かって言えるのか」『ベイビー・ブローカー』が描いた“手放す女性たちの葛藤”

2022/07/15
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 二人目は、内密出産を決心して臨月で遠い町から熊本まで新幹線に乗ってきた女性。彼女は、慈恵病院に電話相談をしたことから、妊娠への葛藤と同時に胎内で育っていくもうひとりの存在に対する愛情を感じ、内密出産へと進んだ。

 出産後は翻意し自分で育てることを選んだが、ひとりで育てる生活は程なく行き詰まり、赤ちゃんは児童相談所に一時保護された。赤ちゃんを愛していることと、実際に二人で暮らすことができるかは別の話だ。経済の問題、虐待のトラウマなど、複数の要因が複雑に絡まり、彼女を苦しめた。そんな彼女の孤独な育児に対し、周囲の助けはあまりに細く薄かった。

 ゆりかごの取材を通して出会い、話を聞かせてくれた彼女たちは未成年で出産している。二人とも親からの虐待を受けて育ち、予期せぬ妊娠を誰にも相談できず孤立していた。妊娠した彼女たちに対し、もう一人の当事者であるはずの男性たちは逃げた。

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 スクリーンの中の若い女性は、ゆりかごの取材で出会ったまだあどけなさの残る女性たちの困難な人生を代弁していた。

ソヨン(『ベイビー・ブローカー』公式サイトより)

赤ちゃんポストは“母親を甘やかす箱”なのか

 再び映画に戻ろう。

 若い母親と接触し、中絶をしなかった訳を聞いた女性警官が「中絶すればよかっただなんて、赤ん坊に向かって言えるのか」と反論され絶句するシーンがある。

 自分で育てられないのになぜ中絶しなかったのかという女性警官の問いの立て方は、命の誕生を条件付きでしか認めていない社会そのものだ。映画は無言のうちに訴える。命を無条件に受け入れるために変わるべきは社会の側ではないのかと。私自身、これまでの取材で何度も女性警官と同じ問いが頭に浮かんだことを打ち明けなくてはならない。

ブローカーたちを逮捕する機会を窺う女性警官・スジン(『ベイビー・ブローカー』公式サイトより)

 全身で妊娠を受け止め胎児の成長を守る過程で女性の心は複雑に変化する。レイプによる妊娠であっても胎内の命に愛情が発露する人もいるという。他方、相手が恋人であっても親になる実感が湧かず、出産後も愛情を持てない人がいる。予期せぬ妊娠に立ち尽くす女性たちの葛藤に対し、私たちは鈍感過ぎるのかもしれない。

 根っこにあたたかさを隠したブローカーたちとの深刻なようで陽気な旅を通して、女性は少しずつ二人への親愛を深めていく。また、彼女の犯した過去の罪は、むしろブローカーたちと彼女の絆を深める。

 そんな彼らを、減刑と交換条件に女性が警察に売るシーンで映画はクライマックスを迎える。若い方のブローカーは女性に売られたことに気づいていながら、予定を変えずに逮捕されるのだ。

 刑期を一刻も早く終えて赤ちゃんとの関係をやり直したい一心で女性は警察と取引した。若いブローカーは、彼女の内側に隠された赤ちゃんへの深い愛情に触れ、彼女の警察との取引が成立するよう、人身売買の罪で逮捕されることを選んだ。逃げようと思えば逃げられたのに、だ。彼女の赤ちゃんへの思いを叶えるために自分の身を投げ出すことで、彼自身も長く抱えていた傷を癒したのだ。

 赤ちゃんポストは匿名で預け入れることができる。そのため、安易な子捨てを助長するという批判がある。だが、熊本の「ゆりかご」に預け入れた女性たちは、理由はさまざまだが、赤ちゃんに無事に育ってほしいと祈るような思いで託している。映画でも、女性は赤ちゃんが犯罪者の子どもという重荷を背負わずに済むように願って赤ちゃんポストに託していた。