小室ファミリーだった意外な過去
――曲や音楽といえば、1990年に小室哲哉さんと組んでインストゥルメンタルのアルバム『Psychic Entertainment Sound』をリリースされていますが。
マリック 『レッグズ』の版権が高すぎたんですよ。1回の使用料がとんでもない額だから買おうとしたけれども、どんなにお金を積んでも売ってくれなかった。じゃあ、それに代わる曲を作ろうってことで、私はホテルでショーをやっていた頃に入っていた小澤音楽事務所の会長だった小澤さんに相談してね。
すると、打ち込みのナンバーワンは小室さんだと。当時、小室さんたちTM NETWORKは小澤音楽事務所の所属でね。それで小室さんとスタジオでお会いして、「こういうイメージで、『レッグズ』に代わるテーマ曲をお願いします」と頼んで。作ってくれて、ずっと私のライブでも使っていたけど、やっぱり耳に残っているのは『レッグズ』になっちゃう(笑)。
小室さんには、結婚披露宴にも呼んでいただいて。私の隣が細木数子さんで、こっちが白竜さんで、あっちがホタテマン(安岡力也)という、ものすごいテーブルで。そこだけ完全に浮いていて、どこにも座らせられない人を集めたテーブルなんじゃないかって(笑)。
――衣装や曲も緻密に計算されたこともあって、どハマりさせてもらいました。気づけば、木梨憲武さんが『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ、1988~1997年)でやっていたMr.ノリックにまで夢中になっていましたから。
マリック その頃、ライブをやると席の中に必ずノリックがいたんですよね。1回目は「きてます」と連絡を受けたのですが、「なんで来てるのかな?」と思って。3回目で「今度、番組でパロディやらせてもらいます」と挨拶していただいてね。ちゃんと私の癖も勉強していて、完璧でしたね。
「インチキ」だという大バッシングを受けて
――ブレイクの規模が大きすぎた反動もあったのか、「インチキ」だというバッシングも相当でしたね。マジシャンだからインチキもなにもないのですが。
マリック 私の目標はユリ・ゲラーを超えることでしたから、『木スペ』の初回ではあえてスプーン曲げを披露しました。「ユリ・ゲラーのスプーン曲げは超能力」という観客の思い込みをひっくり返さないかぎり、再びマジックを楽しんでもらえる時代が来ないという危機感があったんです。
ユリ・ゲラーはお茶の間にいる視聴者に「スプーンを用意してくだい」と呼びかけて曲げさせたけど、私はお茶の間とスタジオにいるタレントさんの両方にスプーンを曲げさせました。
さらに言うと、初回では超能力者然として現れ、その次で「実はマジシャンでした」と宣言するつもりでした。まずは超能力者だと思わせることで視聴者にスプーンを持ってもらったわけだけど、「もう一回、このままいきましょう」と周りからも言われて、結局マジックだとは明言せずに番組に出続けました。