「きてます」「ハンドパワー」といったセリフと共に、超能力ともマジックともつかない“超魔術”を繰り出して日本中を驚かせたMr.マリック(73)。

 そんな彼に、独特なキャラクターやファッションが生まれた背景、小室哲哉とのコラボレーション、ブレイクとその後に訪れたバッシングなどについて、話を聞いた。(全3回の3回目/最初から読む

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『11PM』を経て、『木スぺ』に出演

――構成作家に「深夜に出てみない?」と誘われた番組とは?

Mr.マリック(以下、マリック) 読売テレビの『本気ナイト』という番組でマジックを披露するコーナーを作ってもらって、1年くらいやっていたんです。レツゴー三匹さんが司会で、久本雅美さんも一緒に出ていて。まだ彼女が「オカルト二人羽織」でエクソシストのパロディとかやってた頃ですよ。

 テレビにおけるマジックの見せ方を、その番組で編み出すことができましたね。それまではマジシャンの手がカメラのフレームから外れると、「その間に仕掛けや道具を取ってきたんだろう」とか言われちゃっていて。そもそもテレビ局のスタジオでマジックをやるなんてことがなくて、演芸場でやっているのを実況中継するくらいだった。しかもアップにするとタネがバレるから、マジシャンが「近づくな!」なんてカメラマンに怒る。

 で、プロデューサーやみんなで撮り方を考えて。私の目の前にカメラマンを座らせて、至近距離でマジックを見せるようにした。この目線が、お茶の間に受けたと。

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――では、すでに関西圏では人気が。

マリック 特番までやらせてもらったぐらいですからね。「関西で火が付いたものは、絶対に全国で売れるから」と言われて、この言葉を信じて頑張って。それで浅草ビューホテルでショーをやっていたら、『11PM』(日本テレビ、読売テレビ、1965~1990年)の方が訪ねてきて「東京でもやりませんか?」と。いままで私が話してこなかったこともあって『11PM』で注目されたと思われていますけど、実は関西から火が付いていたんですよ。

『11PM』でも1年くらいやらせてもらった後、「冠でゴールデンやりましょう」というオファーをいただいて。『木曜スペシャル』(日本テレビ)の枠で私単独の特番『Mr.マリック超魔術シリーズ』(1989~1992年)がスタートするわけです。