暴力団の「みかじめ料」ビジネスとはどんなものなのか? もし支払いを断ったら、一体何が起きるのか? 

 北九州を「修羅の街」に変えた凶悪暴力団「工藤會」組織トップの摘発までの全貌を追ったジャーナリストの村山治氏の新刊『工藤會事件』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

「みかじめ料」ビジネスが必要悪として成立していた事情とは? ©iStock.com

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北九州の暴力団「工藤會」はなぜ暴走した?

 工藤會はなぜ、かくも、暴走するにいたったのか。

「もともと、北九州市で工藤會が巣くう地域は、警察と暴力団のどちらを市民が支持するか、分かれるようなところだった。学校で子供が工藤會について『かっこいい。おれも将来、組に入る』と言うような土地柄だ。だから、市民の協力が得られず、工藤會の摘発が進まない。それをいいことに工藤會は横暴の限りを尽くす」

 九州に勤務経験のある元警察庁幹部はこう語った。一種の「風土」論だ。

 東京から見ていた間、筆者も「風土論」に一定の説得力を感じていた。しかし、実際に捜査現場を取材すると、違う気がした。そもそも北九州市民が聞けば、怒り出すだろう。

 福岡県警暴力団対策部長として「頂上作戦」の指揮をとった千代延晃平・群馬県警本部長は「風土論」にこう反論する。

「工藤會がヤクザとして特殊なわけではない。トップと実行犯の個性の組み合わせで組織として暴走した。北九州市民、福岡県民は、工藤會がもたらす負のイメージ、レッテルを剥がしてほしいと思っている」

 確かに、日本の近代化の原動力になった産業都市は北九州だけではない。人が集まり活気が出れば、もめごとの仲裁で暴力団が出てくる。それは全国どこでも同じだ。

 福岡県には、北九州市が根城の工藤會をはじめ、地元に根を張り、全国組織でない独立組織の指定暴力団が5つもある。田川市の太州会、久留米市の道仁会、大牟田市の浪川会、福岡市の福博会。福岡市には山口組と神戸山口組の傘下組織もある。

「暴力の街」のイメージが強まったのには、2006年から13年まで続いた道仁会と浪川会(九州誠道会)の激烈な抗争も大きく影響している。市民を狙ったわけではないが、工藤會の市民襲撃と同時並行で起きたため、より一層悪い印象が広がった面もあったとみられる。

 ただ、山口組、稲川会、住吉会などの指定暴力団は、暴力団同士の抗争で殺し合いはするが、市民に銃は向けない。