警察官4人が暴力団から受け取った賄賂は、立件分だけで3120万円――2001年、福岡県警と暴力団の癒着の根深さを示す収賄事件が発覚した。その後も県警の腐敗は相次いで発覚し、「県警は何をやっているのか」と厳しい批判が上がる始末。

 90年代まで、暴力団摘発に積極的だった福岡県警はなぜ堕ちたのか? ジャーナリストの村山治氏の新刊『工藤會事件』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

福岡県警はどうしてしまったのか?

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福岡県警の相次ぐ腐敗発覚

 北九州地方では、警察官のことを「ひね」と呼ぶ。

 街で子供がパトカーの警察官を見て「ひね、頑張って」というと、母親が「しっ」と子供の口を覆う。同じ福岡県でも福岡市では使わない。

 ネット上の「日本語俗語辞書」によると、「『ひっそりと狙う』を略した言葉で、警察官を意味する」とあるが、北九州で使われる「ひね」には、「ひねくれもの」にも通じるような、なんともいえない、侮蔑の響きがある。北九州市民の警察に対する複雑な感情を象徴するかのようだ。

 その原因のひとつが、福岡県警の相次ぐ腐敗発覚である。

 2001年12月、福岡県警の現職警察官が捜査情報提供の見返りに捜査対象者から現金を受け取っていたことが県警の捜査で発覚。逮捕・起訴された警察官4人が受け取った賄賂は、立件分だけで3120万円に上った。贈賄側は福岡市の繁華街・中洲のカジノバー経営者ら4人と指定暴力団「道仁会」会長の松尾誠次郎の計5人。警官らには実刑判決が言い渡された。

 事態を重く見た国家公安委員会と県警は、当時とその前の本部長2人を含む23人を処分した。福岡県警と暴力団の癒着の根深さを示す事件だった。

 2007年5月には、福岡県警の警部補が窃盗グループに捜査情報を漏らした見返りに、グループ側から現金数十万円を受け取っていたとして加重収賄の疑いで逮捕された。

 2012年7月には、県警東署刑事二課の警部補が、工藤會の親交者に恐喝事件の捜査情報を漏らした見返りに現金10万円を受け取ったとして逮捕され、収賄の罪で起訴された。一審は無罪となったが、控訴審で逆転有罪となり最高裁で確定した。

 福岡県内では前年の2011年に全国で最も多い18件の発砲事件があり、11月には北九州市で中堅の建設会社会長が射殺される事件も起きたが、容疑者を逮捕できたのは会長射殺を除く2件だけだった。

 そうした中で起きた不祥事に、市民の県警に対する信頼は失墜。「県警は何をやっているのか」と厳しい批判が上がった。

 その一方で、県警の暴力団に対する捜査の手法について、1990年代から地検や警察内部に「摘発のためには手段を選ばない」「独善的」との批判があった。