福岡県警の捜査現場は悪循環にはまっていた。
2013年3月時点の福岡県警の暴力団対策部の捜査員は約400人。工藤會組員はトップの野村が逮捕される約9カ月前の2013年12月末で構成員、準構成員含め約950人。県内の他の暴力団組織の組員を合わせて約2710人。それに対応する捜査員400人というのは、決して少ない人数ではない。摘発が進まないのは、工藤會特有の事情があったからだ。
神出鬼没のヒットマン
工藤會のヒットマンは神出鬼没だった。たまに実行役の末端組員を捕まえても、上層部の関与を一切認めなかった。
上層部の関与を供述すれば、自分や家族の命が危うくなると組員らは恐れていた。組織の「鉄の結束」が捜査の壁となり、工藤會トップの野村や、ナンバー2の田上ら上層部を含めた組織犯罪の解明はまったくできていなかった。
元警察庁暴力団対策課長で工藤會への「頂上作戦」当時、九州管区警察局長だった安森智司は2015年10月、筆者の取材に対しこう語った。
「事件を摘発するには、まず被害者とその家族、元組員ら捜査協力者の身の安全を確保するのが絶対条件であり、手がかかる。その事情を知る工藤會は、次々と事件を起こす。福岡県警は、例えば10人の捜査員がいるとすると、7人まで協力者保護にかかわってしまい、純粋に捜査に従事できるのは3人だけという状態だった。物証を得るための家宅捜索にしても、10人出すと、組員20人に阻まれて物理的に十分な捜索ができなかった」
そのため、県警の工藤會捜査は「いたちごっこ」の様相を呈した。目先の事件処理や被害者警護に手をとられて、原因を根っこから断つ捜査ができなかったのだ。