県警は「捜査妨害、事件潰しだ」と受け止めて強く反発。マスコミも、山下が判事に弁護士を紹介していたのに「していない」と会見で嘘をついたため、厳しく糾弾した。法務省には「検察は独善的」「特権意識丸出し」などの批判が殺到した。
山下は国家公務員法違反(守秘義務違反)で告発されたが、嫌疑不十分で不起訴処分となった。しかし、停職6カ月の懲戒処分を受け引責辞任した。
この当時、検察幹部には、「県警幹部が各社の記者に対し、捜査にかかわる山下次席の関与を批判し、その詳細を説明している」との情報が伝わっていた。検察側は、福岡県警がこの事件を機に、検察に不利な話をマスコミにリークして積年の恨みを晴らそうとしているのではないか、と受け止めた。
福岡県警南署長の首吊り自殺
これには伏線があった。
1994年12月28日、福岡県警南署長の古賀利治が、署長官舎のトイレで首つり自殺した一件である。古賀は、勇猛な軍用犬「ドーベルマン」に例えられる福岡県警の暴力団捜査の第一人者だった。反面、手続きより結果を重視するスタイルには、検察はもちろん、警察内部にも批判があった。
部下の署員が覚醒剤事件で事件関係者の家宅捜索令状を請求する際、白紙調書を使っていた疑いが強まり、県警が虚偽公文書作成、同行使などの疑いで捜査していた。古賀は「監督者として責任を感じた」という内容の遺書を残した。
「古賀の薫陶を受けた暴力団担当刑事らは、検察を恨んだ。調書偽造事件を検察の指導で立件させたと受け止めたからだろう」と、山下事件の調査にもかかわった元検事長は言う。
かつての検察には、古賀がラフな捜査をしても、その熱意を買って捜査が破綻しないよう、事実上、尻ぬぐいをする検事もいた。そういうこともあって、暴力団刑事らには、検察に裏切られたとの思いがあったのかもしれない。
「警察側が山下の言動を事件潰しと受け止めたこともあって、マスコミと警察によるものすごい反検察キャンペーンとなった。両者の関係悪化を案じた法務省幹部が警察庁幹部に『撃ち方やめにして』と持ち掛けたが、『そうしたいが、県警が燃え上がっていて言うことを聞かない』と。あれ以来、検察は県警とぎくしゃくしていた」(元検事長)。