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 競合組織がなくなったことで、工藤會と建設会社、飲食店などとの関係は根本から変わった。

 工藤會以外に暴力団はないのだから、建設会社や飲食店は工藤會に他の暴力団から守ってもらう必要はなくなった。用心棒ビジネスは成立しなくなったのだ。しかし、組織を維持し、組員を食わせるにはカネがいる。工藤會は、建設会社や飲食店にあれこれ業務妨害を仕掛けては、邪魔されたくなければ金を出せ、と迫るようになる。

 これは、典型的な恐喝だ。1993年にその構図ができてしまった。

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 工藤會にとって唯一の「敵」は警察だが、法と証拠によって行動する警察は、アウトローで神出鬼没の工藤會に翻弄された。警察の暴力団排除運動に協力した企業に次々と銃弾が撃ち込まれたのに、警察は犯人をほとんど捕まえられなかった。

 工藤會は増長し、市民に対して一層、居丈高になる。言うことを聞かないと、すぐ拳銃やナイフを向けるようになったのである。トップが溝下から野村に代わっても、その構図は変わらず、凶暴性は加速した。

食い扶持を確保するため「経営者を襲撃」することも

 そして、工藤會暴走のふたつめの要因は、談合決別宣言だ。

 全国の建設会社は談合しなくなり、入札はたたき合いになった。受注価格は、予定価格を大幅に下回ることも珍しくなくなった。建設会社は受注価格を談合で吊り上げて暴力団に対する「みかじめ料」の原資を捻出していたが、それができなくなった。

 工藤會の最大の収入源だった、建設業者からのみかじめ料は細った。食い扶持を確保するため、建設業者の事務所や自宅に発砲を繰り返し、時には経営者を襲撃して恐怖で締め上げた。

 黒澤明監督の名作『七人の侍』に登場する戦国時代の略奪集団「野武士」そのものである。巨大な利益を生む漁協・港湾開発利権に食い込むため、梶原・上野ファミリーに襲撃と恫喝を繰り返してきたのも、同じ理由からだろう。

取り締まる側の「警察・検察」にも問題が

 工藤會の暴走の要因は、暴力団を取り締まる警察、検察側にもあった。攻撃は最大の防御。この格言は、暴力団対策でも同じだ。迅速な犯人摘発が最善の犯罪抑止策である。

 しかし、次々と襲撃事件が起きるのに、警察は犯人を検挙できなかった。たまに末端の組員を検挙して起訴しても、被害者や目撃者の協力が得られず、無罪になることが少なくなかった。大元の、工藤會トップの摘発など夢のまた夢。警察、検察の北九州市における治安機能は事実上、破綻していたのだ。