今回ようやくこの映画の製作が決まったのは、偶然にも#MeToo運動の始まりと同時期でした。映画の中の女性は異質な存在として描かれがち。私はその構図を少しひっくり返してみたのです。女性というアウトサイダーの視点から異質な存在である男性=ヤコブを見つめたわけです。つまりこれは、女性のまなざしによって、本物の“伝統的な男性”を眺める映画なのです。
――妻(女)を観察する夫(男)の物語であると同時に、それを女性である監督の視点から描くという、とても多層的な映画というわけですね。たしかに、ヤコブから見たリジーは奔放でしたたかな悪女のようですが、物語に進むにつれ、問題を抱えているのはむしろ嫉妬深くプライドの高いヤコブの方だとわかってきます。
エニェディ ええ、私はヤコブという男性を厳しく裁くのではなく、好奇心を持って彼を見つめ、彼の脆さを理解しようと努めました。本作を通して、“伝統的な男性”であるとはどういうことなのかを探求したかったのです。そのため一部の人々は、女性の監督がこのいかにも男性らしい人物を共感をこめて描くなんてありえないと感じたようです。でも人はみな育った環境によってつくられるもの。ヤコブもまた「男はこう振る舞うべき」だと教えられて育ったことで典型的な男性になってしまっただけ。私たちは今まさにこの法則を書き換えようとしています。決して一方的にではなく、あらゆるジェンダーの人々が共に既存のルールを書き換えていければと私は願っています。
彼女の中の隠れた宝物を一緒に掘り出したい
――リジーという女性は、シーンが変わるごとに印象が変わっていきます。同時に、リジーを演じたレア・セドゥという俳優についても、この映画を通して大きく印象を変えられることになりました。彼女はとても現代的でパワフルな女性に見えますが、この映画ではもっと子供っぽく無垢な印象を見せています。監督は、彼女に対してもともとどのようなイメージを持っていたのでしょうか。
エニェディ 実は当初レアはリジー役には合わないかもと感じていました。ですがパリでのミーティングの際、私が先にカフェの席に着きふと窓の外を見ていると、レアがちょうど外を歩いているのが見えたんです。人に見られているとは全く意識せず道を歩く彼女は美しき沈黙に包まれていました。その姿に、他の映画で見てきたレアとは違う何かを感じました。そして彼女がカフェに入ってきた時、たしかに彼女は素晴らしい役者として数多くの映画に出演してきたけれど、きっとまだカメラの前で見せたことのない新しいものを持っているはずだと感じました。リジーという役を通して、彼女の中の隠れた宝物を一緒に掘り出したいと思ったのです。