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 軽井沢の事例が出てきたときには、『あれっ』と思ったんです。軽井沢はトカイナカというよりは、東京の港区が直接引っ越してきたようなところです。都会の人が都会風なスタイルのまま勝手に降臨して、宇宙人の基地みたいに別荘をつくって群れているような面もある。最近は熱海にもそういう感じがありますね。

 けれど本書で『軽井沢』と紹介されているのは、実は西隣の『追分』が舞台の話なんですね。東京からアクセスする際の駅も『軽井沢』ではなくて『佐久平』(笑)。軽井沢は六本木だけど、追分はまさに埼玉県のような場所。軽井沢に仕事をもって通勤する地元民が、田舎の良さを求めた移住者と一緒に住んでいる。この場所の選択が絶妙にいいですね」

藻谷浩介氏 ©文藝春秋

 このあたりの指摘が、地域の細かい事情にやたらに詳しい藻谷ならではだ。私にとっては藻谷浩介こそが、「地域創生」をテーマにするときのロールモデルだ。一般的には藻谷は、2010年に著した『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』で経済変動を人口問題から喝破し、世間の認知を得た。

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 「雨」の違いを問われて…

 けれど遡ること約30年前、小学生のころから社会科の地図帳で全国の自治体を観察し、「人口は変わるんだ」と毎年変動する人口を暗記する早熟な少年だった。大学時代は自転車部に入り、全国約3000(当時)の自治体の半分近くを走破してもいる。いまから3、4年前、一緒に福島県の小村を取材した折り、藻谷は目の前の山脈を指さしながらこう言った。

「あの山の右側に降った雨と左側に降った雨の違いがわかりますか?」

 すぐに相手に質問調で尋ねるのが藻谷の癖だ。わからないからどきまぎしていると、こう解説してくれた。

「右側に降った雨は太平洋に、左側に降った雨は日本海に流れます。つまりここは日本列島の背骨なんです」

 人口問題も地域問題も、机上の知識として記憶するのではなく、現場の胎動と共に常に生きたデータとして扱う。藻谷はそういう姿勢を、すでに約半世紀も取り続けている。

 ところで、本書のテーマである、「コロナ禍を機に一極集中から分散社会へ」について、藻谷はどう考えているのだろう。あえてここで藻谷に「一極集中の弊害」を語ってもらうとすれば、どこに力点があるのだろうか?

 そのことを問うと、藻谷はどこか焦れったそうにこう口を切った。