あまりに感動的だった別れの光景
それからしばらく休んでいると呼吸が荒くなってきたので、「これはいよいよ危ない」と親戚の方たちを全員家に呼ぶことにしました。そして、「おじいちゃんに言いたいことがあったら言おう!」と皆で声をかけることにしたのです。
「おじいちゃん、もう楽になっていいからね!」
「今まで本当にありがとう。ごくろうさんでした!」
「先にあの世に逝った甥(おい)っ子のところに行ってあげて!」
悲しみの声ではなく、感謝やエールの言葉が次々と飛び交います。自然に逆らって無理に延命せず、ただただ愛する祖父の命の灯が消えるまで見届ける。
その別れの光景はあまりに感動的で、「自分も寺西のおじいちゃんのように亡くなりたい」と、親戚や近所の人たちの間で語り継がれているそうです。
「あたしも、お父さんのように死ねたら幸せやな」
寺西さんも生前、よくご家族に語っていたそうです。
寺西さんや旦那さんのように、自宅で家族に見守られながら亡くなることができたら、どんなに幸せだろうと思います。実際、看護師の多くが、「最後は家で過ごすのが患者さんにとって一番の幸せだ」と思っているところがあります。
でも、在宅での介護は、物理的にも精神的にも想像を絶する負担が家族に強いられる場合があります。終末期を家で過ごすことが、必ずしも家族にとって、本人にとって最善だとは言えない現状も一方であるのです。
自宅であろうと、病院であろうと、自分が最期にどう過ごしたいかを家族に正直に言える。それを聞いた家族も最大限、本人の望みがかなうように力を尽くす。それができた寺西さん家族の関係こそが、僕はとても素敵だと思いました。
そうした愛にあふれた関係性を築いたのは、まぎれもなく寺西さんや旦那さん自身。これまでの家族とのかかわり方や生き方の蓄積が、人生の結末を最高に幸せなものにすることを、このご家族が身をもって教えてくれたと感じています。