もうすぐ創業50年
ところで呉さん、お名前からしてご出身は……?
「中国です。向こうから来たんではないけどね。生まれは岡山の津山で、親が疎開しておって」
やがて、先代がこの地に開いた店を受け継いだわけだ。ちなみに初めて来た当時は現在のような歓楽街ではなく、「ここでやっていけるん?」と思うくらいなにもなかったのだという。
「たまたま知り合いがここで雑貨屋をしとって。もうあかんからと、又借りみたいにして。それでここでしたんが、それからやけどね。昭和50年か51年ぐらいやから。もう3年、4年したら50年になるんちゃう? もう半分潰れかけとる(笑)」
店に入ったのは22、3歳のときで、最初から継ごうという意志がおありだった。
「そのときは借金しとるから、しゃあない(笑)」
やがて、奥様と出会って結婚。当時は周辺に会社も多く活気があった。
「だいぶ減ったわ、常連も。会社がぎょうさんあってん、昔。労働金庫もあったし、『シンヤクドー』ってあったでしょ、あれの本社みたいなんもあったし。で、この上にも薬屋があって、そこにも薬屋があって。でも、みんなどこかへ行ってもうたんや」
「子どもは娘だけやから。跡継ぎはおれへん」とおっしゃる。これも、取材時によく聞くフレーズだ。寂しい気もするが、いま、そういう店は少なくないのだ。
「(奥様も)足悪いからね、もう。よう歩かれへんから、できるところまでして。いつやめるかわからん。ボロボロで、もうほったかしやねん。だから、壊れたら壊れたで終わりやね。宣伝もせんし、ほんま、来てくれる人だけ相手して。あんまりバッと来られても、動かれへんもん。(グルメサイトから)電話もようかかってくるけど、みんな断っとるんや。ヨボヨボ2人やから、もうボロボロやし」