Aさんの彼女が住んでいた部屋は2階で、付近には野良猫がいたから最初はその鳴き声だと思っていた。Aさんにはなにも聞こえないが、彼女は週に一度くらいの割合で猫の鳴き声がうるさいといいだす。
「それは何時頃ですか」
「夜ですね。いつも1時はすぎてたと思います。猫の鳴き声はベランダのほうから聞こえるていうてました」
あたりは住宅街で夜は静かだから、猫が鳴いていればAさんにも聞こえるはずだ。彼女によれば猫は何十匹もいるらしい。けれども彼女と一緒にベランダにでて耳を澄ましても、それらしい声はしない。
「でも彼女はベランダから下見ながら、猫どこにおるんやろ、て首かしげてました」
「ベランダの方向には、なにがありましたか」
「ベランダの真下に歩道があって、そのむこうに一軒家がならんでました」
「すると猫の鳴き声は、その家のどれかから聞こえていたのかも――」
「彼女もおなじこというてました。どっかで猫を虐待してるんちゃうか、って。でも、おれには聞こえへんから、彼女はめっちゃ耳がええんかなて思うてました」
ベランダの手すりから身を乗りだし…
ある日、Aさんが仕事で他県に出張していると、彼女から連絡があった。
ゆうべベランダから転落して怪我をしたという。
彼女はまた猫の鳴き声がするのでベランダの手すりから身を乗りだし、下を見ていた。そのときバランスを崩して歩道に転落したらしい。
たまたま近くを歩いていた通行人が転落を目撃して救急車を呼んだ。幸い怪我は軽く入院には至らなかったが、彼女に当時の記憶はない。
「猫を見つけようとして、ベランダから身を乗りだしたところまでしかおぼえてない、ていうてました」
その後、彼女とは疎遠になって現在の消息はわからない。