文春オンライン
「工藤静香への大バッシングと“マシャロス”の罪深い影響」大物芸能人ほど“地味婚化”している深いワケ《広瀬すず&山﨑賢人に待ち受けるハードル》

「工藤静香への大バッシングと“マシャロス”の罪深い影響」大物芸能人ほど“地味婚化”している深いワケ《広瀬すず&山﨑賢人に待ち受けるハードル》

2022/08/10
note

 さらに遡った1973年(昭和48年)10月の、内田裕也と樹木希林(当時は悠木千帆)の築地本願寺での仏前結婚式もまた世間の意表を突いた。“ロックンローラー”内田裕也と、ドラマ「時間ですよ」(TBS系)のハマさん役でお茶の間の人気をさらっていた悠木千帆。それぞれ離婚歴のあった2人をつないだのはかまやつひろしだったという。

 

「5月にかまやつさんが紹介し、8月に偶然お寿司屋さんで再会。10月に結婚という超スピード婚でした。なんといっても驚いたのは、本願寺での挙式の立会人がジュリー、沢田研二だったことです」(同前)

不倫から結婚へと至った「あのビッグカップル」

 73年といえば、ジュリーの「危険なふたり」が大ヒットしソロシンガーとしての人気を確固たるものにした年だ。

ADVERTISEMENT

 内田裕也と樹木希林の挙式立会人を「独身」でつとめた沢田研二は、自身もその2年後の1975年(昭和50年)6月に一度目の結婚をする。お相手は「ザ・ピーナッツ」の伊藤エミ。交際7年、スター・ジュリーと7つ年上の姉さん女房の結婚は、子どもの誕生も含め世間では祝福をもって報じられていた。

 

「ところが、1983年にジュリーと田中裕子との熱愛報道が流れました。前年公開の映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』の共演がきっかけでした。ふたりとも『ファン同士なんです』とのらりくらりとかわしていましたが、1986年には沢田と妻は別居、翌年1月に正式離婚。このときにジュリーが払った慰謝料が、18億円以上という飛びぬけた額――。芸能マスコミは大騒ぎでした」(同前)

 すでに何年も田中裕子との不倫関係を噂されており、再婚はどうなるのかとジュリーについての報道は続いていた。

 昭和から平成に変わった、1989年11月。ついに出雲大社で挙式を挙げた2人は、赤坂全日空ホテルで600人を招いて披露宴を行ったのだ。

「このときの田中裕子のお母さんのスピーチはものすごい迫力でした。『ふたりが出会ってから色々なことがありました。それぞれの葛藤、喧嘩の毎日。家族への説得や世間との闘い。正直なところもうやめて欲しいと何度も思ったほどです。でもふたりは闘い抜き、やってのけました』と、15分にわたり、不倫関係から結婚に至るまでの“母の気持ち”が滔々と語られた」(同前)

 そんな披露宴の様子がたくさん報じられたビッグカップルは、まもなく結婚から33年。いまでも仲良く暮らしている。

関連記事