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覚醒剤のために生きる日々「部屋はゴミ屋敷化」

――逮捕前の薬物中心の生活とはどのようなものだったんですか?

結城 部屋を片付けることができず、洗面所に脱ぎ捨てた洋服の山の上にうずくまって生活していました。手の届くところに、覚醒剤を吸うためのパイプとスマホ、コンビニで買ってきたカップ麺とケトルがあって……。

――覚醒剤を吸うために生きているような……。

結城 1週間で1gくらいという、ありえない量を使っていました。麻薬取締官の方に「君のことを救いに来たんだよ」と言われましたが、それくらい危険な状態だったようです。

――警察白書を見ると20mg~50mgを超える量を「大量」と位置付け、致死量は50mgから1g程度としています。1週間で1gというと命の危険もあったかもしれません。

結城 逮捕された時はとにかく両親に申し訳なくて、「ごめんなさい、ごめんなさい」って泣きわめいていました。実は、母とはAVデビュー後、音信不通になっていました。母は私がAV女優になることに反対していたので、私は「捨てられた」とばかり思っていたんです。

 でも逮捕される直前に会いに行った時、母は「距離を置いていたのは、私がいると仕事に迷いが出ると思ったから」と言ってくれて……。

 

――その時、お母さんは結城さんの異変を感じ取っていましたか?

結城 薬物のことを勘づいた様子で「あんた、そろそろ捕まるよ」と。その通りになってしまいました。母が私を理解し、愛してくれていることがわかった直後の逮捕だったので、なおさら苦しかったです。

――結城さんは初等科から大学まで学習院に通われた。いわゆる「お嬢様」ですよね。

結城 実はお話ししなければならないことがあって……。正直に申し上げますと、初等科からというのは嘘で、学習院に入ったのは中等科からなんです。もうひとつ告白しますと、大学も卒業しておらず、「中退」です。AVデビューの時、そのほうが売りになるからと言われ、経歴を盛ってしまいました。本当にお恥ずかしい限りです。

――とはいえ、中学受験で学習院に。相当努力したのでは?