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 2ヶ月後くらいに銀座のギャラリーでやるセルフポートレート展という公募展があったので、「銀座のギャラリーとホタテビキニの組み合わせは面白いな」と思って。いたずら心じゃないけど、「面白くなるんじゃないか」程度の気持ちで出したんですね。そうしたら、都築響一さんがご覧になって。そこからワーッと一気に広まったんです。 

「この人、アホちゃうか」

ーーどんな反応が。 

マキエ 反応は「面白い」もありましたけど、当時50歳ジャストだったので「50歳にしてはきれいに保ってる」といった女性からの反応が多くて。若い女の子からは「私もこんな50歳になりたい」、同年代の女性で多かったのは「勇気をもらった」ですね。 

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 おそらく、そう言ってくれるのはエイジズムやルッキズムに潰されているような方たちだと思うんですけど。「女性が年を取ったら価値がなくなるんじゃないか」とか、そういうことを考えているからこそ「勇気をもらった」と。 

ーーセーラー服写真の前後に閉経したそうですね。これがセルフポートレートを撮るようになった背景のひとつにもなったと聞いています。 

マキエ 老人の体になる前、まだちょっとは女の形が残っている間に記録として残しておこうというのがあったんですね。「これは記録なんだ」と思うことで、自分で自分のヌードを撮ることに対する恥ずかしさというのは少しは消えていく。いくらセルフポートレートとはいえども、「裸になって写真を撮ってるのって、バカみてぇ」って思いますから。 

 あと、閉経することで、女性としてなにかひとつ役割を終えるという感覚があって。なんていうか、性の対象として見られる女性から、ちょっと違うところにいけるという感じがあって。そういう後押しも大きかったです。撮る前はそうでもなかったんですけど、撮った後に意識しましたね。 

ーー撮るうえで、気をつけていることなどは。 

マキエ 人が撮らないものを撮ること。きれいなポートレートは撮らないこと。 

「ピンク映画」シリーズより(マキエマキさん提供)

ーー“エロスの前にユーモアありき”の精神が一貫してありますよね。エロスとユーモアが必ずセットになっているというか。 

マキエ 最初から笑いは意識してましたから。セルフポートレートというと「自己と向き合ってみました」みたいことを大真面目な顔して言う人いるじゃないですか。ああいうの、気持ち悪くて(笑)。もともと写真もそんなに好きじゃないので、なおさら芸術的なことをするのが嫌だったんですね。芸術表現に対する、恥ずかしさや気持ち悪さというか。 

 どうせだったら一般の人が見て、芸術だなんて微塵も思わずに「この人、アホちゃうか」と思ってくれるのをやりたいなと。 

ギャラリーで待ち伏せ、さらには…

ーーギャラリー・ストーカーという言葉がありますが、マキエさんも被害に遭われていますか?