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 この踏切は愛宕踏切といい、ちょうど西国街道と山陽本線の交差地点。もちろんいまは大都市・広島に呑み込まれて旧宿場町の面影などまったく消え失せているが、旅人にとっての“広島”とはこの場所だった。そういう意味で、広島駅は実にいいところに位置しているといえるのかもしれない。

どうして町外れにターミナルが?

 いずれにしても、広島駅は広島市の中心と少々離れている。中心市街地である紙屋町や八丁堀などに向かうには、駅前から広電に乗るか、歩いて行くなら駅前通りを歩いて猿猴川を渡って稲荷町付近で右に折れ、京橋川を渡ってまっすぐに。広電があるので歩くという発想はあまりないのだが、歩いたところで20~30分ほどだ。

 

 このように、中心市街地とターミナルが離れているケースは珍しいものではない。具体的な例を挙げると、同じ中国地方の岡山だってそうだし、北陸の金沢、九州の熊本などもまさにそういう町のひとつ。すっかり大都市の中に呑まれているが、大阪や名古屋もかつては町外れのターミナルだった。

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 どうして町外れにターミナルができたのか。「蒸気機関車の煤煙が迷惑」などといって町の人々が鉄道を嫌がった、などという鉄道忌避伝説もあるにはあるが、民家を取っ払って用地を確保して市街地に鉄道を通すなど、明治人でもそう簡単にはできなかったというのがほんとうのところだろう。

 

 それに広島の場合、鉄道は広島駅を経てさらに東から西へ延びていかねばならぬ。障害の多い市街地を避けて北に駅を設けたのは、とうぜんのなりゆきである。