日清戦争がはじまる直前にできた「広島」。この街の発展と“日本という国”
広島駅が開業したのは1894年のこと。日清戦争がはじまる直前だ。
そのとき、すでに広島は広島城の跡に日本陸軍第5師団が置かれていて、軍都としての側面を強めつつあった。第5師団は広島鎮台が前身で、明治の初めに設置された全国6か所の鎮台のひとつ。中国地方ではもちろんここだけで、つまりは陸軍にとってとにかく重要な地であった。
そういうわけで、広島はその後も軍都として発展していく。ちょうど鉄道が広島に達した直後に勃発した日清戦争では広島が前線本部のような形になり、明治天皇もやってきて大本営が置かれたし、国会も広島で開かれている。
日露戦争でも広島は大陸に出兵する将兵の輸送拠点となり、東京から50時間以上もかけて走ってたくさんの兵隊を運ぶ特別列車も運行されている。その後の日中戦争、太平洋戦争でも第5師団は大陸・南方方面で活躍する精鋭部隊として活躍している。
軍都であったことは広島の都市としての発展を促した。しかし、それが結果として原爆投下の惨劇につながったのだから、歴史とはどう捉えればいいのかなかなか難しいものである。
ともあれ、広島駅もそうした広島の歴史の中において、重要な役割を担ってきた。日露戦争後には、駅の北側に設けられた軍の練兵場に面して軍用ホームが設置され、そこには勇躍帰国する将兵たちを待ち受ける凱旋門も建った。乃木希典大将も、ここ広島に引き揚げてきたらしい。
もちろん、いまの広島駅にはそんな軍用ターミナルの面影はない。駅舎の建て替え工事が行われている南口の周辺には背の高いマンションがいくつも建ち並んでいて、ここに地上20階建ての新駅舎が現れたらもうそれはそれは中国地方ナンバーワンにふさわしい駅前風景になることだろう。