駅の反対側に回ってみると…
対して駅の北側はもうすでに再開発が完了済み。新幹線の改札からそのまま駅前広場を取り囲むペデストリアンデッキにつながっていて、周囲にはホテルや商業施設。こちらはかつて陸軍の練兵場があったエリアだが、それが戦後開発されていまの姿になっていったのだろう。
駅の向こうには山が見え、そこには広島東照宮や尾長天満宮などが鎮座する。広島駅は北も南もたくさんの人で賑わう、典型的なターミナルなのである。
そんな広島駅、もう少し周りを歩いてみる。だいたいが開発が進んで真新しいビルが建ち並ぶエリアばかり。マツダスタジアムに向かって歩くと、青ではなく赤いローソンがあったりして広島カープムードが漂っている。それとは反対、駅の西側に向かうと……こちらはなんだかちょっと変わっている。
駅の西側に線路を跨ぐ陸橋があるのだが、その奥に細い路地が入り組んだ他とは明らかに異なる雰囲気の一角があるのだ。大須賀町と呼ばれる一帯で、小さくも庶民的な飲み屋がひしめき合う。ここは一体何なのか。
調べてみると、どうやらかつての特飲街。戦後間もない時期、売春防止法が施行されるまでの間、そういった類いのお店があった場所のようだ。
原爆投下で広島駅の周辺も壊滅的な被害を受けたが、それでも中国地方随一のターミナル。戦後になると、多くの人が駅周辺に集まってくる。中には家族を失って身寄りをなくした若い女性もいて、食べるために駅前で売春婦をすることもあったという。
ただ、広島は1951年に国体の開催を控えていて、ターミナルの前にそういう人たちをそのままにしておくのは難しい。いまのご時世であれば強制的に排除しそうなものだが、事情が事情だし時代も時代。そこで駅の近くの大須賀町に集めて特飲街に仕立てたようだ。
もちろんいまはそういう町ではなく、周囲とは明らかに違うひしめく飲食店などにその面影があるくらい。いってみれば、戦後の広島を今に伝える、活きる遺産のひとつなのである。
2025年からの「広島」が描く未来
広島駅は、軍都・広島の玄関口という役割によって発展を遂げ、戦後は一転して平和都市のターミナルになった。
中心市街地からほどよく離れている立地は、路面電車(広電)の発達を促すことにもつながったのだろう。そうしていま、広島駅に新たな駅舎が生まれようとしている。
町のターミナルが整備されて巨大化すると、中心市街地の機能の一部を奪うようになるという。名古屋などもまさにそうした例のひとつ。広島の場合は果たしてどうなるか。いずれにしても、2025年の新駅舎完成が楽しみである。
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