最近ローカル線の存続問題がにわかに注目を集めている。
JR東日本や西日本がローカル線の収支を公表し、もう大都市の通勤電車の儲けでローカル線の赤字を穴埋めなんてできないよ、と言っている。そうしたローカル線は、まさにローカルという名にふさわしく、人里離れた場所を走っている路線がほとんどだ。
ところが、廃止になる路線は必ずしもそうした人里離れた路線ばかりではない。都市部にあっても、なぜかお客にまったく恵まれずに廃止されてしまった路線があった。そのひとつが、広島の市街地の中を駆けていた、元国鉄宇品線である。
なぜ市街地の路線が廃止されてしまったのか?
宇品線は広島駅を起点に市街地の東側を南北に走り、宇品港までを結んでいた。陸軍第5師団の置かれた広島城を中心に広がっていた広島の中心市街地からは、比治山を挟んで東のはずれ。
いまでこそ、宇品線が走っていた跡は市街地に埋もれているが、広島駅まで現在の山陽本線(当時は山陽鉄道)がやってきたときには、ほとんど何もない場所だった。
宇品線はいったいどんな場所を走り、どのような生い立ちを辿って廃止されたのだろうか。
線路沿いを歩いてゆくと…
まずは廃線跡を歩いてみなければはじまらない。宇品線の起点は広島駅で、そこからしばらくは山陽本線の線路に並行して東に走っていたから、線路沿いを歩いてゆく。
広島駅から線路沿いを東に歩くと見えてくるのは、いうまでもなくマツダスタジアム。スタジアムから新幹線が見えることからもわかるとおり、マツダスタジアムは線路のすぐ脇にある野球場なのだ。そして宇品線は、マツダスタジアムの外周道路に沿うように南に進路を変えていた。
というのも、マツダスタジアムはかつて国鉄の広島操車場、その後は貨物駅になっていた場所だった。つまり、宇品線が山陽本線から分かれて南に進むその付け根の場所が、時代を経て広島市に払い下げられてスタジアムになったというわけだ。