文春オンライン

77年、運命の夏

2022/08/15

genre : ニュース, 社会,

 宇品線が最終的に廃止されたのは1986年だから、もちろん宇品線とマツダスタジアムが共存していた時期はない。

公園に残る“駅の跡”

 スタジアムから南に進むと、ほどなく猿猴川を渡る。いまは平和橋という道路橋が架かっているが、このあたりに宇品線が通っていた。ここから先は、広島市東部の市街地の中。宇品線の痕跡などはまるでない。強いて見いだすならば、住宅地の中の細い道路が廃線跡に該当するのだろう。

 

 ほどなく住宅地の中に段原第五公園という小さな公園が見えてくる。この小さな公園の中にはレールの上に車輪が乗ったオブジェがあった。なんでも、宇品線の南段原駅の跡だという。とうぜんおもかげは一切残っていないが、現役時代をいまにとどめるもののひとつだ。

 廃止になってからそう歴史を経ていないこともあって、宇品線の跡には現役時代をしのぶオブジェや展示がそこかしこに残されている。廃線跡はほぼ道路になってしまって消えているが、このオブジェのおかげでどこを通っていたのかをなんとなく追うことができるのだ。

 

レンガ造りの旧陸軍被服支廠に残る爆風の痕跡

 南段原駅から南に進むと、広島大学病院が見えてくる。このあたりは、戦後広島県庁が一時移転してきた場所だ。宇品線沿線は広島の中心市街地との間に比治山があるおかげで、原爆の爆風による被害が比較的軽微だった。

 そのため、いくつかの行政施設が宇品線沿線に移転してきたのだという。戦前には軍関係の施設も多くあったことで、戦後は行政施設に転用できそうな広大な土地が残っていたのもプラスに働いた。ちょうど県庁、いまの広島大学病院の近くに上大河駅があった。

 

 ここからもう少し南に行くと、下大河駅の跡に着く。何が残っているわけでもないが、「ポッポ広場」としてそこに駅があったことがわかる形が残っている。