文春オンライン

77年、運命の夏

2022/08/15

genre : ニュース, 社会,

戦後のピーク時には1日23往復運転。どうしてそんな路線が廃線に…?

 廃線跡の緑道を進むと、目の前に見えてくるのは広島高速の高架道路。その高架道路に沿うようにして宇品線は西へ(右へ)カーブし、終点の宇品駅を目指した。

 

 ちょうど宇品駅があったのは広島競輪場があるあたり。高速道路のほとんど真下にレールが敷かれ、ホームがあった。すぐ南に宇品中央公園という公園があるが、この公園の脇には旧陸軍糧秣支廠倉庫の外壁だけが残されている。

 いったい宇品線はどのような役割を担っていたのだろうか。これだけの市街地の中を抜けているし、沿線には工場や病院まであるのだから、お客の確保にはそれほど困らなそうに見える。

 実際、戦後のピーク時には1日23往復運転されるなど比較的お客を集めていた時期もある。沿線の住宅地としての発展、さらに学校や工場などへの通勤・通学に活躍していたのだ。

 

 しかし、少しずつお客を減らしていくと、1966年をもって上大河~宇品間の旅客輸送が廃止され、残った広島~上大河間は原則として定期券を持っている人しか乗ることができなくなった。列車の数は平日4往復、休日2往復。時刻表にも載っていない、“幽霊列車”だった。

 さらに1972年にはこの旅客輸送も廃止されてしまい、広島県経済連・日本通運・トナミ運輸・広島運輸の四者によって東広島貨物駅の側線扱いで1日1往復の貨物列車を走らせるだけになる。いわゆる“宇品四者協定線”である。

 

 だが、それも1日1往復だけではあまり意味がない。結局、1986年にこれも廃止され、宇品線は完全に歴史から姿を消すことになった。