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〈24時間テレビ放送〉「出征の朝、あと5分とキャンバスに向かい続け…」戦没画学生慰霊“無言館”の館長が、樹木希林さんと“亡くなる2年前”に話したこと

内田也哉子×窪島誠一郎#1

source : 週刊文春WOMAN 2022年夏号

genre : エンタメ, 芸能, アート, 昭和史

note

窪島 よく「絵がわかる」というでしょ。でも僕はそもそも「絵がわかる・わからない」というのがわからない。ただ、魅かれる絵がある。その絵を描いた人がどういう人で、どんな思いで、どんな生き方をしていたのかということに魅かれるんです。

 だから例えば、1919年にスペイン風邪で22歳で死んだ村山槐多、同じく20歳で死んだ関根正二、脳腫瘍で30歳で死んだ野田英夫のように、思いを遺して早世した画家の絵には特に魅かれます。これは無言館にも通じます。志半ばで死んだ、無名の“画家未満”の若者の絵に強く魅かれるんです。

「このまま戦死した画友たちの絵が霧散してしまうのが口惜しい」

内田 窪島さんは、生まれた3週間後が真珠湾攻撃だったそうですね。よく「無言館は反戦や平和を訴えるために建てたのではない」と発言され、自伝的小説『流木記』には「画家には二つの命がある。一つはナマ身の命、もう一つは作品にこめられた命」と書かれています。

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 つまり作品がこの世からなくならない限り画家は死んでいない。だから、あまりにも若くして戦火に散った画学生たちの「もう一つの命」を守るために建てたのですね。


片岡進「自刻像」
昭和19年11月、バーシー海峡(日本輸送船の墓場と呼ばれた)で戦死。
享年24
大分県佐伯町出身。東京美術学校(現・東京藝術大学)卒。出征の朝まで一睡もせずにこの像を完成させると、服、画材用具、日用品のすべてを友人たちに分け、何も告げずに発った。「何も要らない。この像だけを自分と思ってほしい」との思いだったか。

窪島 自らも東京美術学校(現・東京藝術大学)を繰り上げ卒業させられて召集され、戦地から復員された、現在101歳で現役の洋画家である野見山暁治さんが、「このまま戦死した画友たちの絵が霧散してしまうのが口惜しい」とぽつりとおっしゃったのを聞いたのがきっかけでした。

 まもなく戦後50年を迎える頃のことで、今から収集して保管すれば、散逸を防ぐのにまだ間に合うんじゃないかと思いました。

内田 画学生たちの遺した絵の収集に、3年半かけて全国を行脚されました。

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