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窪島 最初は野見山先生と一緒に訪ね歩きました。当時、先生は72歳、僕が51歳。後半は僕ひとりで。ご遺族から絵を預かるだけでなく、画学生の思い出話を伺うんです。出征の朝、「あと5分」「あと10分」とキャンバスに向かい続けた人、誰にも告げずにひとりで出征した人……涙なしでは聞けないエピソードが山のように集まりました。

清水正道「婦人像」
昭和19年2月、激戦の地マーシャル諸島で戦死。享年27
長野県木曽の医師の家に6人兄妹の末っ子として誕生、わがままで女中や看護婦とも仲が悪く両親を困らせた。東京美術学校(現・東京藝術大学)進学後はりりしい青年に成長し、家人の誰にも告げずに出征する。一時帰省中に本人が召集令状を受け取っていたらしい。

内田 窪島さんの執念ともいえる取材力ですね。今日は無言館でイベントがあって大勢の方が集っていました。窪島さんは御年80歳。拝見していると、同年代ぐらいの方から話しかけられると話があまり続かない。でも、若い人とは同じぐらいのテンションとノリでポンポンポンとお話が弾んでいました。その差がとても興味深いです。

窪島 若者というのは、まず予定調和しないでしょう。「いやー、いいお話でした」とか、そういうのはない。でも年を取るほど言うんです。年を取るということは、たいていの人は一つずつ何かを着込んでいくんですけれど、僕の場合は脱いで裸になっていくような感覚があるんですよね。裸になっていく人のほうが話が弾みます。あなたの母上もそういう人でしたね。

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内田 はい、何もかも開けっ広げで、誰かに対してじゃなく、自分に対してのプライドの所在がはっきりしてましたね。母との付き合いはどのように始まったのですか。

樹木希林さんとの出会い

窪島 2015年のこと、彼女が突然、やってきたんです。一目見れば樹木希林さんだというのは分かった。その大女優が「会いたかったのよ、あなたに」と言うものだから、びっくりしちゃった。児童文学作家の灰谷健次郎さんから、しょっちゅう僕のことを聞かされていましたって。

内田 灰谷さんとは、母は自称“がん友だち”だったから。