「ただこのときは、通常の1級受験とは異なる特別なルールが適用されました」
前出の記者が解説する。
「3人の現役女性奨励会員と対局し、2勝なら1級編入、1勝2敗なら2級仮入会、3敗なら不合格という異例のルールでした。対局相手は加藤桃子2級、伊藤沙恵2級、西山朋佳4級(級位は当時)。西山戦は香落ちの手合いだったとはいえ、2級以下に3連敗しなければOKというのは相当甘い条件です。将棋界のイベントを世間が注目する“女の戦い”に仕立てるいかにも米長会長らしい仕掛けでしたが、対局相手に指定された女性奨励会員からすれば、『何で私?』という思いだったでしょうね」
米長会長とすれば、里見が受験に失敗し「女流トップが奨励会不合格」というニュースが報道されることは、絶対に避けたかったのだろう。だが里見自身がこのルールを自ら希望したわけではなく、「合格させるための茶番ではないか」との一部の批判を甘受しなければならなかった。
里見にできることは、勝って周囲を納得させることだけだった。
奨励会試験を2勝1敗(加藤桃子2級に負け)で突破して「奨励会1級」に編入された里見は、入会翌年の2012年に女性最高位となる奨励会初段に到達。2013年には奨励会三段に昇段していよいよ「女流棋士誕生」の機運が高まったが、過酷な三段リーグを勝ち抜くことはできず、既述の通り2018年に年齢制限(原則26歳の誕生日まで)のため退会となった。
「本人が望む生き方を、周囲が許してくれない時代状況があった」
里見五冠の奨励会時代を、森九段が振り返る。
「まったくの結果論ですが、当時もし奨励会に専念できていれば、三段リーグ突破も十分にあったと私は思っています。女流も奨励会も将棋を指すことに違いはありませんが、やはり目的が違えば求められる勉強の方法も密度も変わります。強い相手は女流より圧倒的に奨励会に多くいるわけですから、棋力向上を考えればそちらにシフトしたほうがいいのは当然でしょう」
「ガラスの天井」という言葉がある。女性やマイノリティが企業や組織内でしばしば直面する「見えない社会的障壁」のことだ。「女流としての活動」を強いられるという将棋界版の「ガラスの天井」を経験したのは、おそらく里見だけだろう。
だが、時代は変わりつつある。森九段が編入試験に臨む弟子にエールを送る。
「本人が望む生き方を、周囲が許してくれない時代状況があった。私にも責任の一端があったと思います。しかし、彼女は実力でその状況を多少なりとも変えてきた先駆者です。今回の編入試験挑戦は、その結果にかかわらず、将棋界に大きな意識変革をもたらすはずです。歴史が変わる瞬間を、私もこの目で見届けたいと思いますね」