17人の女流棋士で日本将棋連盟から独立したLPSA(日本女子プロ将棋協会)が、今年で設立15周年を迎えた。
15年の歴史のうち直近の8年間代表を務めているのが中倉宏美女流二段だ。16歳でデビューした1990年代後半に、将棋界初の「姉妹女流棋士」として注目を集めた人気女流棋士は、今、LPSAを率いて独自の事業に取り組んでいる。
イベントや大会の運営での忙しい日々や、次世代の女の子の育成について聞いてみた。
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若い頃はチヤホヤされ、天狗になってしまったことも
――LPSAの代表理事に就任して8年が経ちました。代表といっても、大会やイベントでは裏方として動き回ったりされているそうですね。
中倉 LPSAは小さな団体ですし、女流棋士が裏方も営業も何でもやります。受け身な仕事ではなく、自分たちで企画からしているので、忙しくてもやりがいはあります。その手作り感が良いと言ってくださる方もいらっしゃいますね。
――中倉先生は16歳で女流棋士になりました。姉で先に女流棋士になっていた中倉彰子女流二段と将棋界で初の姉妹女流棋士として大きな注目を集め、イベントにも引っ張りだこでした。その頃に比べて変わったなと思うことはありますか。
中倉 若い頃はチヤホヤされ、天狗になってしまったことがあったように思います。イベントのお仕事も、ただ行って出演するだけ。準備や裏方の苦労が分かっていませんでした。それなのに「お仕事は大変」とか思っていたので、過去の自分に「そんなの全然大変じゃないから!」と言ってやりたいです。
今の愛車は光岡自動車のビュート
――中倉先生が運転して、盤駒時計など大会やイベントに必要な物を運搬しているとうかがいました。運搬に適した車をお持ちなのですか。
中倉 私は乗り物が大好きで、こだわりの車を買ってしまったのです。運搬に適しているかと言われると全然違って。
――自分で運転する乗り物がお好きなのですね。中倉先生が大型バイクのハーレーダビッドソンに乗っていらしたのは有名な話ですものね。
中倉 今はバイクには乗っていません。今の愛車は光岡自動車(※独特の曲線美など凝ったデザインの車のメーカー)のビュート。それに詰め詰めに荷物を積んで運んでいます。イベントや大会が終わったらゴミ袋も載せて帰りますよ。車に詳しい人には「せっかくのビュートが可哀想」なんて言われてしまいました。軽トラとは言わないまでも、ボックスカーのほうがいいのかもしれません(笑)。