「私は弟子入りの条件として、毎年8月に高知県で開催している支部連合会の夏季合宿に参加することを言い渡しておりましたので、この年から里見も家族と一緒に、出雲から高知の越知町までやってくるようになりました」
県代表クラスのアマ強豪も参加する、総勢100人近い「将棋合宿」。とにかく早指しで番数をこなすという指導方針のもと、10秒将棋を何十局と指した。
「私との対局では、だいたい10分切れ負けのルールで指しました。平手ですから、もちろん私が勝つわけですけれども、対局後に悪い手を指摘したら里見は決してそのことを忘れないし、アマチュア強豪の指し手をよく覚えて相手の強さをどんどん吸収していく。素直で記憶力が抜群なんですね」
合宿における対局は深夜まで延々と続けられる。それでも里見は眠いとも言わず、盤に向かい続けた。
「昼には歯が立たなかったアマチュア強豪に、小学生の里見がついに勝った。感動しましたよ。そのとき外を見たら、もう空がうっすら白くなっていました。暁の勝利です」
女流育成会に初めて参加した2003年の後期、里見は1位(9勝1敗)の成績を収めて昇級点を獲得。続く2004年前期の育成会でも得意の中飛車で2期連続の1位(9勝2敗)。2度目の昇級点を獲得したことにより、里見はわずか1年で育成会を駆け抜けて女流棋士(2級)となった。
「育成会時代は高速バスで島根から東京までお母さんと一緒に遠征してきましたけれども、本当にあっと言う間でした。終盤に強く、逆転で寄せてしまう将棋が多くてね。どこでも寝られる特技もあって、どこか勝負師の雰囲気を漂わせていましたよ」
現役時代、「終盤の魔術師」と恐れられた師匠・森九段の勝負術が憑依したかのような快進撃は「天才少女あらわる」「出雲のイナズマ」と大きく報じられた。
「負けても泣かない少女」が感想戦で号泣
女流棋士となってから3年目の2007年、15歳初段だった里見にタイトル戦出場のチャンスが巡ってきた。倉敷藤花のタイトルを持つ斎田晴子への挑戦権を賭け、女流の第一人者、清水市代女流王位と対局。勝てば初のタイトル戦出場という大きな一番で、里見に信じられないミスが出る。
「序盤に角を不用意に上げたことで、たった1手で飛車がトン死してしまったんです。里見の公式戦の将棋のなかでも最大級の大ポカですね」
序盤の大きな駒損が響き、将棋は完敗。「負けても泣かない少女」だったはずの里見が、感想戦が始まると人目をはばからず号泣した。この勝利で挑戦権を得た清水は、斎田晴子倉敷藤花を破りタイトルを奪取している。
「清水さんにはそれまでもまったく歯が立たない状態で、上位の壁を実感した相手だったと思います。ただ若い時に大きな敗北を喫すると、かえって大きな成長につながることもある。里見はまさにそのケースでした。翌年も里見は倉敷藤花の予選を勝ち上がり、あと2勝で清水さんに挑戦できるところまでこぎつけた。ちょうど恒例の夏合宿があったので、対戦相手になると想定された矢内理絵子二冠、甲斐智美女流二段(段位は当時)、そしてタイトルを保持している清水さんに負けた棋譜を持ってこさせ、徹底的に研究しました」
「強化合宿」が功を奏し、里見は倉敷藤花の挑戦権を獲得すると、タイトル戦3番勝負では過去4戦全敗だった清水を相手に2連勝。前年の雪辱を晴らす16歳でのタイトル奪取となった。