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 本人のなかでは、写真集ができあがった時点で目的は達成し、もうそれで終わったという感じだった。だが、それまで清純派のイメージが強かった彼女が突如としてヌード写真集を出したとあって、世間ではスキャンダラスに騒がれ、マスコミから追いかけられるはめになる。まったく関係のない仕事の現場でも、まるで腫れ物に触るように扱われたらしい。

 それでも彼女は、騒ぎから1年あまりを経て振り返るなかで、《浴びせかけられた好奇の視線も、「今これを浴びるだけ浴びておけ」って思っていた。「この感じを覚えとけ!」って。/今は、人にどう思われても全然痛くもかゆくもないし、度胸はついたと思う》と、マイナスのこともプラスにしていこうという気構えを示した(『定本 菅野美穂 Exorcism』)。

「人から見られることがこんなに大変なことだとは…」

『NUDITY 菅野美穂写真集』

 思いがけず世間から騒がれるなかで迎えた20代。その前半はこれまでで一番つらかった時期だと、のちに振り返っている。《人から見られることがこんなに大変なことだとは思わなかった。でも、あるとき“諦め”という決心をしたらラクになり》、さらに25歳になると英語を習ったり、旅に出たりと、《女優業と違う世界に触れることで、結果をすぐに求めるのではなく、長い目で物事を捉えようと、思えてきた》という(『クレア』2011年3月号)。

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 20代後半はがむしゃらに仕事をこなす日々が続く。25歳のときに『大奥』で初めて時代劇を本格的に経験するなど、連続ドラマの仕事も切れ目なく入っていた。現在の事務所に移籍したのもこのころで、それを機に、スケジュールを事務所と相談しながらオンとオフを長いスパンで計画できる環境となり、仕事に対する責任意識も変わった気がするという(with編集部『わたしたちが27歳だったころ――悩んで、迷って、「わたし」になった25人からのエール』講談社、2022年)。

『イグアナの娘』(1996年、テレ朝動画公式サイトより)

 ただ、そのなかで焦りもあったようだ。27歳のときには「30歳まであと3年しかない!」と心のなかでカウントダウンしていたという。当時の最たる悩みは将来についてで、なかでも結婚が心に重くのしかかっていた。母親が29歳で結婚して、30歳で彼女を生んだので、自分もそのころまでには……と思っていたが、一向にその気配がなく、焦りを募らせる。しかし、いざ30歳になってみると何も変わらないので、かえって気負いがはじけ、急に楽になったという。

20代後半は「特別な時間」だった

 あとから振り返って、20代後半は自分にとって「特別な時間」だったと、菅野は折に触れて話している。25歳前後の働き盛りの女性を読者層とする雑誌では、以下のように自分の経験を語り、読者にエールを送った。